いもとうげ
飛鳥と吉野を結んだ古道の峠。大海人皇子が越えたと伝わる。
明日香村栢森から山に分け入り、尾根を越えて吉野町千股へ下る峠です。飛鳥の谷のいちばん奥と、吉野の入口とをつないでいます。
いまは県道15号(桜井明日香吉野線)が通り、車で越えられます。峠の手前には、舗装された道と並行して古道の登り口があり、「古道芋峠」の道標が立っています。
672年、大海人皇子(のちの天武天皇)は近江朝廷との対立を避けて吉野へ退きました。そのときに越えたのがこの峠だと伝えられています。翌年の壬申の乱では、同じ吉野から東国へ向かって兵を挙げます。
持統天皇は在位中、吉野へ三十回以上も行幸しました。その道もこの峠だったとみられています。飛鳥と吉野は、この一本の山越えでつながっていました。
峠道には、万葉学者・犬養孝の『万葉の旅』から引いた解説板が立っています。
電車が通るまでは飛鳥と吉野をむすぶ重要な交通路だったが、いまは誰ひとり越えるものはなく、草におおわれて道を見失いがちで、廃道に帰している——という内容です。山道どころか田舎の平地の道すら歩く人影がなくなり、旧道は寸断され、旧峠はたいがい廃絶の姿である、と続きます。
そのうえで、歩くことによる距離の感覚は交通機関の発達で失われてしまったが、それだけに万葉の歌の実相は歩くことで正しく取り戻せる、と書かれています。峠の草をかき分けているときにそれをしみじみ感じる、と結ばれています。
解説板には、天武天皇の御製が添えられています。
み吉野の 耳我(みみが)の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間(ま)なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来し その山道を(『万葉集』巻一・二五)
絶え間なく降る雪と雨にたとえて、道の曲がり角ごとに絶えず物思いをしながら来た、と詠んでいます。「その山道」が、この峠越えの道です。
明日香村栢森から県道15号を南へ約4キロ。歩くと栢森から1時間半ほどです。峠の前後は杉林のなかの一車線で、待避所が少ないので運転には注意してください。
古道の区間は道標に「1,000m」とあります。落ち葉と苔に覆われた土の道で、雨のあとはよく滑ります。
行政区分としては峠の南側は吉野町ですが、飛鳥を語るうえで欠かせない道として取り上げています。
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