飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/高取城跡
たかとりじょうあと
標高583メートルの山上に残る石垣。日本三大山城のひとつ。
明日香村の南西、高取町の高取山(標高およそ583メートル)の山上にある城跡です。建物はすべて失われ、石垣だけが残っています。
登りきると、木立に囲まれた平地がいくつも段になって現れます。そのきわに、高さのある石垣が続く。山のなかにこれだけの石を積み上げたことが、まず信じがたい光景です。
備中松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)とともに、日本三大山城のひとつに数えられています。山城としては国内最大級の規模で、石垣の総延長は約3キロにおよびます。
始まりは南北朝時代です。この地を本拠とした越智(おち)氏が築いた山城が最初とされます。
戦国時代の終わりに大きく姿を変えます。豊臣秀長の家臣・本多利久が入り、中世の山城から、石垣と天守を備えた近世の城へ改修されました。
江戸時代には植村氏が城主となり、高取藩2万5千石の居城として幕末まで続きます。山上に天守を持つ城が江戸時代を通して維持された例は多くありません。
明治6年(1873年)の廃城令で建物は取り払われました。残ったのが、いま見ている石垣です。1953年に国の史跡に指定されています。
この城を詠んだ里謡が伝わっています。
「巽(たつみ)高取 雪かとみれば 雪にあらずして 土佐の城」
城下町の方角から見上げると、白漆喰の建物が山の上で雪のように光って見えた、という意味です。土佐(とさ)とは城下町の名で、いまも高取町の土佐街道にその名が残っています。
いま同じ場所から山を見上げても、木々に覆われて城跡は見えません。
明日香村から歩いて訪れる人にとって、見逃せないものが登り道の途中にあります。
二の門跡のかたわらに、猿石と呼ばれる石造物が一体置かれています。明日香村の吉備姫王墓にある猿石と同じ系統のもので、飛鳥から運ばれてきたと考えられています。
築城の際、石材として集められたもののひとつでしょう。飛鳥時代の、用途も分からない石が、千年後に山城の石として運び上げられた。この土地では、石がそうやって使い回されてきました。
高取城の石垣そのものにも、古墳の石が転用されているとみられる箇所があります。
明日香村の外、高取町にあります。近鉄壺阪山駅から、土佐街道を通って登山道に入り、本丸まで徒歩でおよそ2時間。標高差はおよそ450メートルあります。
山道です。途中に自動販売機もトイレもありません。歩きやすい靴と、水を用意してください。雨のあとはぬかるみます。
車の場合は、壺阪寺の先から林道で城跡近くまで上がれます。ただし道は細く、対向が難しい区間があります。
新緑と紅葉の時期がとくに知られています。木が茂るぶん、夏は見通しがきかず、冬は落葉して石垣がよく見えます。
明日香村の中心部からは直線で数キロですが、山を越えることになります。歩いて往復するなら、半日から一日を見ておいてください。
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