飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/南淵請安墓
みなぶちしょうあんのはか
遣隋使から帰った学者の墓と伝わる塚。中大兄皇子と中臣鎌足が通った。
稲渕の集落を上がっていく道の角に、「南淵先生墓」と刻まれた石碑が立っています。うしろの小さな塚が、南淵請安(みなぶちのしょうあん)の墓と伝えられてきた場所です。神明塚(しんめいづか)と呼ばれます。
石碑には寛文2年(1662)の銘があると伝わります。塚の上には小さな社が立ち、中臣神社と呼ばれています。
608年(推古16年)、小野妹子に従って隋へ渡った留学生のひとりです。渡った先で隋が倒れ、唐が興ります。640年(舒明12年)に帰国するまで、三十年あまりを大陸で過ごしました。
『日本書紀』は「南淵漢人請安(みなぶちのあやひと しょうあん)」と記します。渡来系の一族の出とされます。生没年は分かっていません。
『日本書紀』には、中大兄皇子と中臣鎌足がそろって請安のもとに「周孔の教え」を学びに通い、その行き帰りの道すがら蘇我氏を倒す計画を練った、と記されています。周孔とは周公旦と孔子、つまり儒教のことです。
645年の乙巳の変は、この道の上で形になったことになります。
1977年(昭和52年)4月1日、明日香村の史跡に指定されました。
飛鳥川の飛び石から坂道を上がった先にあります。道幅が狭いので、車で行く場合は駐車場所に注意してください。
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