飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/定恵 ― 十二年の留学から帰り、その年に死んだ
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藤原鎌足の長男は、十一歳で唐へ渡りました。帰ってきたのは二十三歳の秋。そしてその年の暮れに没しています。毒殺だったと書き残したのは、身内でした。
定恵(じょうえ)は、643年(皇極2年)に生まれたとされます。中臣鎌足の長男です。
生まれた二年後に乙巳の変が起きます。父が中大兄皇子とともに蘇我入鹿を討ち、政治の中心へ進んでいく、その時期に子ども時代を過ごしたことになります。
653年(白雉4年)、遣唐使が送られました。定恵はこれに学問僧として加わります。数えで十一歳でした。
同じ船には道昭(どうしょう)が乗っていました。のちに玄奘三蔵に学び、法相宗を日本に伝える僧です。
定恵は長安に入り、慧日道場(えにちどうじょう)に住んで、神泰(しんたい)法師のもとで学んだと伝えられます。当時の長安は唐の都として最も栄えた時期にあり、各国からの留学生が集まっていました。
滞在は十二年におよびます。行ったときは子どもで、帰るときには成人していました。
665年(天智4年)、唐の使者・劉徳高(りゅうとくこう)の船に乗って帰国します。
そして同じ年の12月23日、没しました。二十三歳。帰国から数か月しか経っていません。
十二年をかけて学び、ようやく帰ってきた人物が、その年のうちに死ぬ。あまりにも唐突です。
この死について、奇妙な記述が残っています。
『藤氏家伝(とうしかでん)』は、藤原仲麻呂が八世紀の半ばに編んだ、藤原氏自身による家の伝記です。そこに、定恵は百済の人に妬まれ、毒を盛られて死んだ、という趣旨のことが書かれています。
身内が残した記録に、殺されたと書いてある。しかも相手は百済人だとまで書いてある。にもかかわらず、『日本書紀』はこの件に触れていません。
定恵が帰国した665年は、日本にとって難しい時期でした。
その二年前、663年に白村江の戦いがあります。百済を助けるために送った軍が、唐と新羅の連合軍に大敗しました。百済は滅び、多くの亡命者が日本へ渡ってきます。
彼らは技術も学識も持っており、朝廷に受け入れられました。一方で、唐で十二年を過ごし、唐の学問を身につけて帰ってきた鎌足の長男がいる。百済からすれば、自分たちの国を滅ぼした唐に学んだ人物です。
対立の芽がなかったとは言えません。ただし、これはあくまで『家伝』が書いていることであり、裏づけになる別の記録はありません。
別の見方もあります。
定恵が僧であったことです。鎌足には次男・不比等(ふひと)がおり、659年に生まれています。定恵が死んだとき、不比等は七歳でした。
もし定恵が生きて還俗していれば、藤原氏を継いだのは長男だったかもしれません。実際には不比等が家を継ぎ、その子孫が奈良・平安の朝廷を占めていきます。仲麻呂は不比等の孫です。
つまり『家伝』を書いた仲麻呂にとって、定恵は自分の家系の外にいる人物でした。その死を外部の者による毒殺として書くことは、家の歴史をきれいに整えることでもあります。
毒殺が事実だったのか、後から与えられた説明なのか。決め手はありません。
定恵をめぐっては、もうひとつ古い説があります。実は孝徳天皇の子で、鎌足が引き取って育てた、というものです。
多武峰に伝わる記録に見えるもので、確かめようがありません。ただ、十一歳で国費の留学に送り出されるという扱いの重さを説明しようとすると、こうした話が生まれる余地は残ります。
談山神社の十三重塔は、定恵が建てたと伝えられています。唐から帰ったのち、父・鎌足の墓を摂津から多武峰へ移し、その上に塔を建てた――という由緒です。
ところが年が合いません。鎌足が没したのは669年で、定恵の死の四年後です。先に死んだ者が、後から死んだ父の墓を移すことはできません。
由緒が伝える改葬の年は678年です。この年、定恵はすでに十三年前に世を去っています。
それでも、この話は長く語られてきました。十二年を唐で過ごし、帰ってすぐ死んだ長男が、父の墓の上に塔を建てる。事実としては成り立たない話が、寺の由緒として残り続けた。そこには、早く死んだ者に何かを果たさせたいという気持ちが働いているようにも思えます。
定恵ゆかりの場所として訪ねられるのは、明日香村の東にある談山神社です。十三重塔がいまも立っています。
同じ船で唐へ渡った道昭は、帰国後に飛鳥寺の東南に禅院を建てて住みました。二人が乗った船は同じでしたが、その後は大きく分かれています。
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