
587年、蘇我馬子の軍に攻められ、物部守屋は河内の本拠で討たれました。仏を捨てた人、として知られる人物です。けれども彼について残る記録は、すべて勝った側が書いたものです。その記録を、守屋の側から読み直します。

2026年に世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。19件の構成資産を、場所と見どころがひと目で分かる一覧にまとめました。飛鳥駅から歩く定番コース、三つのエリアに分けた半日コース、奥飛鳥へ足を延ばすコース、1日・2日で全部をめぐるモデルコースを紹介します。

冠位十二階、憲法十七条、遣隋使。教科書でおなじみの聖徳太子は、明日香の橘寺で生まれたと伝えられます。日本書紀が描く太子の歩みと、「聖徳太子」という名前の成り立ちをたどります。

鎌倉時代の落雷で、飛鳥寺は焼けました。残ったのは「仏の頭と手」だけ――そう伝える記録と、2012年・2016年のX線の調査は、同じ仏について違うことを言っています。

飛鳥大仏から薬師寺の薬師三尊まで、およそ百年。仏像の顔つきは、つくらせる人と、海の向こうとの行き来しだいで、大きく変わりました。

2026年7月26日に登録されました。選ばれたのは宮殿と寺と墓の跡だけ、しかもほとんどが地下にあります。この19件が示しているのは、日本という国のしくみができあがっていく百年あまりです。

飛鳥川に、稲藁の綱が二本架かっています。下流の稲渕は神主を招き、上流の栢森は僧侶が読経する。同じ行事が、集落ごとに違うかたちのまま続いています。

海に近い大阪の水路か、それとも飛鳥の小さな池か。『日本書紀』が仏像を捨てた場所として記す「難波の堀江」は、二つの候補を持ったまま今日に至っています。