
2026年7月26日に登録されました。選ばれたのは宮殿と寺と墓の跡だけ、しかもほとんどが地下にあります。この19件が示しているのは、日本という国のしくみができあがっていく百年あまりです。

飛鳥寺、豊浦寺、山田寺、川原寺、大官大寺、本薬師寺。誰が、何のために建てたのか。そこを押さえると、寺の跡の見え方が変わります。

三百年以上にわたって大きくなり続けた墳丘が、七世紀のうちに小さくなり、八世紀の初めに途絶えます。理由はひとつではありません。

隋へ、唐へ。数十年を海の向こうで過ごし、帰ってきた人たちがいます。彼らが持ち帰ったのは、物ではなく、国の仕組みそのものでした。

藤原鎌足の長男は、十一歳で唐へ渡りました。帰ってきたのは二十三歳の秋。そしてその年の暮れに没しています。毒殺だったと書き残したのは、身内でした。

海に近い大阪の水路か、それとも飛鳥の小さな池か。『日本書紀』が仏像を捨てた場所として記す「難波の堀江」は、二つの候補を持ったまま今日に至っています。

飛鳥川に、稲藁の綱が二本架かっています。下流の稲渕は神主を招き、上流の栢森は僧侶が読経する。同じ行事が、集落ごとに違うかたちのまま続いています。