
2026年7月26日に登録されました。選ばれたのは宮殿と寺と墓の跡だけ、しかもほとんどが地下にあります。この19件が示しているのは、日本という国のしくみができあがっていく百年あまりです。

1972年に高松塚古墳の壁画を掘り当てたのは、関西大学の調査隊でした。その三年後に村で始まった公開講座は、いまも続いています。

誰の墓かがほぼ確実とされる天皇陵は、ごくわずかです。この陵がそうであるのは、1235年の盗掘で作られた調書が残っていたからでした。

近鉄飛鳥駅の周り、平田・野口・越。数キロ四方に、天皇の陵とされる古墳がいくつも並んでいます。これほど密集した場所は、ほかにありません。

街灯が少ないので、日が落ちると空が近くなります。そしてこの村には、飛鳥時代の人が星をどう見ていたかが、そのまま残っています。

三百年以上にわたって大きくなり続けた墳丘が、七世紀のうちに小さくなり、八世紀の初めに途絶えます。理由はひとつではありません。

円でも方形でもない、八つの辺をもつ墳丘。七世紀の半ばから八世紀の初めまでの六十年ほど、この形は天皇の陵にだけ使われました。

明日香村最大の前方後円墳をめぐっては、被葬者について複数の説が唱えられてきました。