飛鳥の明日香の里を(明日香村)コラム発掘して、終わりにしなかった ― 明日香村と関西大学の半世紀

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発掘して、終わりにしなかった ― 明日香村と関西大学の半世紀

公開日 更新日

1972年に高松塚古墳の壁画を掘り当てたのは、関西大学の調査隊でした。その三年後に村で始まった公開講座は、いまも続いています。

1972年3月、壁画が出た

正面から見た高松塚古墳。芝に覆われた円い墳丘と、手前の生け垣
高松塚古墳。外から見えるのは、芝に覆われた小さな円い墳丘だけ

きっかけは、村の人が畑に穴を掘っていたことでした。生姜を貯蔵するための穴を掘っていて、古い切石に当たった。そう伝えられています。1970年のことです。

その報告を受けて、1972年3月に発掘調査が行われました。石槨を開けたところ、内側の漆喰に極彩色の絵が描かれていました。

青龍、白虎、玄武。日像と月像。天井には金箔の星。そして西壁の女子群像――のちに飛鳥美人と呼ばれる絵です。

日本の文化財の発掘史上、極彩色の壁画が出たのはこれが初めてでした。新聞の一面になり、この村の名は全国に知られることになります。

調査を指揮した人

この調査を指揮したのが、関西大学の網干善教(あぼし・よしのり)でした。のちに同大学の名誉教授となる考古学者です。

網干は高松塚だけでなく、川原寺裏山遺跡や牽牛子塚古墳など、飛鳥の各所の調査に関わりました。奈良県立橿原考古学研究所や明日香村と組んでの仕事です。

ここで終われば、「大学の研究者が村で発掘をした」という話にすぎません。この村の場合、そのあとが続きました。

1975年、村で講座が始まる

壁画の発見から三年後の1975年、関西大学は明日香村で公開講座を始めます。飛鳥史学文学講座といいます。

壁画の発見をきっかけに生まれた講座で、村の中央公民館などを会場に、年に十数回、研究者が話をします。参加は一般に開かれています。

この講座が、いまも続いています。2026年度で52年目。通算500回を超え、受講者は延べ11万人ほどにのぼります。大学の公開講座としては全国でも例のない長さです。

調べた結果を学会と論文のなかだけに置かず、掘った場所で、そこに住む人と訪れる人に向かって話し続けてきたことになります。

村のなかに、大学の拠点がある

関西大学は、明日香村の稲渕に飛鳥文化研究所を置いています。正式な名前を、飛鳥文化研究所・植田記念館といいます。

この建物は寄付で建ちました。大学の教育後援会で会長を務めた植田正路が、教育と研究の発展を願って私財を投じ、本館が竣工したのが1975年3月。壁画の発掘から三年後、村で公開講座が始まったのと同じ年です。

泊まれる施設だという点が効いています。宿泊室は和室と洋室をあわせて72名ほど、浴場もあります。現地の調査は日帰りでは進みません。掘る人が村に寝起きできる場所ができたことで、腰を据えた調査ができるようになりました。

植田からはその後も二度にわたって寄付があり、大学は「教育振興植田基金」を設けます。その基金をもとに、1987年3月、隣に新館が建ちました。1991年には奈良県景観調和デザイン賞を受けています。棚田で知られる稲渕の集落に、景観になじむ形で建っています。

いまは調査と研究だけでなく、校外授業やゼミナール、研究会にも使われています。教員と学生が夜を徹して討論できるセミナーハウス、というのが大学側の説明です。

発掘のときだけ来て、終われば引き上げる。そういう関わり方にしなかった、という点がこの半世紀の特徴だと思います。

2020年、覚書を結ぶ

関係が明文化されたのは、意外に最近のことです。

2020年9月28日、明日香村と関西大学は学術・文化交流に関する覚書を締結しました。2022年の壁画発見50周年に向けた記念事業、古墳や遺跡の発掘調査、そして世界文化遺産への登録を目指す取り組みを、あわせて進めるためのものです。

半世紀の実績があったうえで、あらためて枠組みを作り直した形です。

そして2026年

高松塚壁画館の外観。白い玉砂利の前に、女子群像の絵を添えた館名の看板が立つ
高松塚壁画館。実物に代わって壁画を伝える

2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録されました。高松塚古墳も中尾山古墳も、その構成資産に含まれています。

同じ年の8月30日には、登録を記念した飛鳥史学文学講座の特別シンポジウムが明日香村中央公民館で開かれました。1972年の発掘から数えて54年です。

壁画を掘り当てた大学が、その半世紀後に、世界遺産登録を記念する場も村で開いている。線がつながっています。

壁画そのものは、いま見られない

ひとつ付け加えておくことがあります。高松塚古墳の壁画は、発見のあと劣化が進みました。

カビの発生が止まらず、2007年には石槨が解体されて取り出され、現在も修理が続いています。古墳の中にはもう壁画がありません。

代わりに壁画を伝えるのが、古墳のすぐそばにある高松塚壁画館です。発見当時の姿をそのまま写した現状模写と、失われた部分を補った一部復元模写の二種類が並び、いま何が残り、何が失われたのかが分かるようになっています。

また、関西大学の博物館(大阪府吹田市)にも高松塚古墳壁画の再現展示室があります。掘った大学が、その成果を自分の博物館でも見せているということです。

掘ることと、伝えること

発掘は、その場所を一度壊す行為でもあります。土を取り、石を開け、中のものを外の空気にさらす。高松塚の壁画が劣化したのも、開けたことと無関係ではありません。

だからこそ、掘ったあとに何をするかが問われます。記録を残し、公開し、次の世代へ渡す。

この村と大学の半世紀は、その部分がずっと続いてきた例だと思います。年に十数回、村の公民館で講座が開かれる。派手な話ではありませんが、500回という数字は、そういう地味な継続の積み重ねです。

参加できます

飛鳥史学文学講座は、いまも一般に開かれています。会場は明日香村中央公民館で、年度ごとに日程が組まれます。詳細は関西大学の案内をご確認ください。

村を歩く日と重なれば、午前に古墳を見て、午後に講座を聴くということもできます。掘った場所と、それを語る場所が、歩ける距離にあります。

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