飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/高松塚古墳
たかまつづかこふん
極彩色の女子群像が発見された、戦後の考古学を代表する円墳。
7世紀末から8世紀初め頃に造られた円墳です。1972年(昭和47年)3月、村人が生姜を貯蔵する穴を掘っていて石室の存在に気づいたことが調査のきっかけになりました。
そして発掘の途中、石室の内面に極彩色の壁画が描かれていることが判明します。日本で初めて確認された、古墳の石室内の壁画でした。連日新聞の一面を飾り、戦後の考古学でもっとも大きな発見のひとつと呼ばれています。同年に史跡、翌1973年に特別史跡に指定されました。
墳丘の中心にあった石室は、16枚の凝灰岩の切石を箱形に組んだものです。内部は奥行265.5センチ、幅103.4センチ、高さ113.5センチ。人がようやく横たわれるほどの大きさで、石棺を納めるためだけの空間でした。
石材の合わせ目は精密で、外から光も水も入りにくい造りになっています。この密閉性が、1300年にわたって壁画を残しました。
壁画は、石室の内面に塗られた漆喰を下地として描かれていました。東西の壁にはそれぞれ男性の群像と女性の群像。東壁に青龍、西壁に白虎、北壁に玄武。そして日像と月像。天井には金箔を貼って星宿(星座)が表されています。
なかでも西壁の女子群像は「飛鳥美人」の名で広く知られ、国宝に指定されています。色とりどりの衣をまとった4人の女性が、団扇や払子を手に並ぶ姿です。
漆喰に描かれたこうした壁画古墳は、日本ではこことキトラ古墳の2つしか見つかっていません。
石室は中世に盗掘を受けており、南壁は破られていました。副葬品の多くは失われていますが、大刀の飾金具、海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)と呼ばれる銅鏡、ガラス玉、そして漆塗り木棺の破片が見つかっています。
皮肉なことに、盗掘で開いた穴から入った空気が壁画を乾かし、結果として保存に働いた面もあると考えられています。
発見後、石室の南側に保存修理施設を建てて現地保存の方針が取られました。しかし温湿度の管理が追いつかず、カビによる劣化が進みます。
2005年、石室ごと取り出して修理する方針が決まりました。2007年、石室は解体されて墳丘から運び出され、約500メートル離れた仮設修理施設で作業が続けられています。壁画そのものは通常は公開されていません。
いま見られる墳丘は、発掘調査の成果をもとに築造当時の姿へ復元したものです。下段の直径23メートル、上段の直径18メートルの2段築成。芝に覆われたなだらかな姿が、周囲の丘陵になじんでいます。
被葬者は特定されていません。天武天皇の皇子とする説、臣下の高官とする説、渡来人とする説などが出されていますが、決め手はありません。
国営飛鳥歴史公園の高松塚周辺地区にあり、隣接する高松塚壁画館で現状模写・復元模写と石槨の模型を見ることができます。近鉄飛鳥駅から徒歩約15分。キトラ古墳へは丘を越えて歩けます。
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