奈良県高市郡明日香村。飛鳥時代に都が置かれたこの地に、古墳や石造物、寺社の跡が点在します。歩いて出会える場所を、ひとつずつ。
RECENT SPOT

いかづちのおか
雷を捕らえた話が残る小さな丘。東側は小墾田宮の推定地。

こみやいせき
明日香村豊浦の水田に、石組みの溝が残る遺跡。推古天皇の小墾田宮とする説や、蘇我馬子の邸宅とする説がある。

あさかぜとうげ
明日香村の阪田と稲渕のあいだ、標高約200メートルの峠。竹やぶの細い道を抜けると、稲渕の棚田を見下ろせる。

まらいし
明日香村祝戸の道端に横たわる、長さ約125センチの花崗岩。男性器をかたどったものと見られ、対岸の「フグリ山」と一対とする説がある。

あまのかぐやまじんじゃ
大和三山のひとつ、天香久山の北のふもとに鎮まる古社。占いの神を祀り、持統天皇の「衣干したり」の歌の山を間近に感じられる。

みろくいし
飛鳥川の右岸に立つ石柱状の巨石。下半身の病に効くと信じられ、「ミロクさん」と呼ばれる。
COLUMN

殯の庭で「生きている王に仕えよ」と言い放ち、先の天皇の皇后に迫り、最後は蘇我馬子の兵に討たれた。『日本書紀』で評判の悪い穴穂部皇子は、欽明天皇の子で馬子の甥でもある、れっきとした皇位の候補でした。彼はなぜ消されたのか、記録から考えます。

643年、聖徳太子の子・山背大兄王は、蘇我入鹿の兵に追われて斑鳩で一族とともに命を絶ちました。母は蘇我馬子の娘。蘇我の血を引く皇子が、なぜ蘇我に滅ぼされたのか。皇位、上宮王家の力、入鹿以外の関与、そして『日本書紀』の描き方から考えます。

『万葉集』を代表する歌人でありながら、『日本書紀』にも『続日本紀』にも名前が出てこない。柿本人麻呂について確かなのは、残された歌と題詞だけです。雷丘の歌から石見での死、そして一人の歌人ではなかったという説まで、分かっていることと分からないことを分けてたどります。