奈良県高市郡明日香村。飛鳥時代に都が置かれたこの地に、古墳や石造物、寺社の跡が点在します。歩いて出会える場所を、ひとつずつ。
RECENT SPOT

いかづちのおか
雷を捕らえた話が残る小さな丘。東側は小墾田宮の推定地。

こみやいせき
明日香村豊浦の水田に、石組みの溝が残る遺跡。推古天皇の小墾田宮とする説や、蘇我馬子の邸宅とする説がある。

あさかぜとうげ
明日香村の阪田と稲渕のあいだ、標高約200メートルの峠。竹やぶの細い道を抜けると、稲渕の棚田を見下ろせる。

まらいし
明日香村祝戸の道端に横たわる、長さ約125センチの花崗岩。男性器をかたどったものと見られ、対岸の「フグリ山」と一対とする説がある。

あまのかぐやまじんじゃ
大和三山のひとつ、天香久山の北のふもとに鎮まる古社。占いの神を祀り、持統天皇の「衣干したり」の歌の山を間近に感じられる。

みろくいし
飛鳥川の右岸に立つ石柱状の巨石。下半身の病に効くと信じられ、「ミロクさん」と呼ばれる。
COLUMN

斉明天皇が多武峰の頂に建てた両槻宮は、神仙の宮とも、道教の寺院ともいわれてきました。もう一つ、山の上の砦だったという見方があります。乙巳の変から十年あまり、飛鳥は本当に落ち着いていたのでしょうか。

斉明天皇は、飛鳥の東の山の頂に、二本の槻の木のそばの建物を造らせました。名前は両槻宮、またの名を天宮。記事は残っていますが、跡はまだ見つかっていません。

斉明天皇は運河を掘らせ、天理の山の石を舟で飛鳥まで運びました。人々はそれを「たぶれごころのみぞ」、正気を失った者の溝とそしりました。その溝が、発掘で少しずつ姿を見せています。