飛鳥の明日香の里を(明日香村)散策スポット藤原宮跡

  • 藤原宮跡いっぱいに広がる秋のコスモス畑。奥に大和三山のひとつ耳成山
  • 藤原宮跡のコスモス。ピンクと白の花が咲きそろう

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藤原宮跡

ふじわらきゅうせき

日本初の本格的な都城の中枢。四季の花畑でも知られる。

16年の都

持統天皇8年(694年)から和銅3年(710年)まで、16年にわたって都が置かれた藤原京の中枢部にあたります。持統・文武・元明の3代の天皇がここで政務をとりました。

明日香村ではなく橿原市に属しますが、飛鳥からそのまま歩いて行ける距離です。

日本で初めての条坊制

藤原京は、日本で初めて条坊制を採り入れた本格的な都城でした。碁盤の目に区切った街路を敷き、その中に人々を住まわせる。唐の都城にならった造りです。

それまでの飛鳥の宮は、天皇の住まいと役所があるだけで、都市ではありませんでした。藤原京ではじめて、計画的に区画された「都」が生まれます。のちの平城京・平安京は、この形を受け継ぎました。

宮の構造

宮の範囲はおよそ1キロメートル四方。周囲を大垣(おおがき)が囲み、十二の門が開いていました。

中心に天皇が政務や儀式を行う大極殿があり、その南に役人が並ぶ朝堂院、さらに南に朝集殿院が続きます。この配置も唐にならったもので、以後の宮のかたちを決めました。

いま地表には、大極殿の基壇と、柱の位置を示す表示が残るだけです。

「宮」から「京」へ

飛鳥の宮が、その時々の天皇ごとに建て替えられる「宮」だったのに対し、藤原京は初めから都市として設計されました。

ここで律令が整い、貨幣が発行され、国名が「日本」と定められます。飛鳥時代の終わりと、律令国家の始まりが、この場所で入れ替わりました。

それでいて、都はわずか16年で平城京へ移ります。排水の問題があった、規模が想定より大きくなりすぎた、など理由は諸説あり、はっきりしていません。

花の名所として

跡地は広大な原っぱとして残され、季節ごとに花が植えられています。

春は菜の花、初夏はキバナコスモス、夏はハス、そして秋にはおよそ300万本といわれるコスモスが一面に咲きます。遺跡を守るために建物を建てられない土地が、結果として県内有数の花畑になりました。

大和三山を見渡す

遮るものが何もないので、畝傍山・耳成山・天香久山の大和三山をぐるりと見渡せます。

藤原京は、この三山に囲まれた位置に置かれました。持統天皇が「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」と詠んだ、その香具山が東に見えます。飛鳥時代の人が見ていたのと、ほぼ同じ稜線がそこにあります。

訪ねる

1952年に国の特別史跡に指定されました。2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産のひとつとして世界遺産に登録されました。

近鉄大和八木駅からバス「橿原市藤原京資料室」下車ほか。資料室では復元模型で当時の姿を見られます。見学は無料です。

公開日 更新日

所在地
奈良県橿原市高殿町
アクセス
近鉄大和八木駅からバス「橿原市藤原京資料室」下車ほか
カテゴリー
特別史跡/日本遺産構成文化財/世界遺産/遺跡・跡地

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