飛鳥の明日香の里を(明日香村)コラム「はなはだ道理がない」と言われてから百年 ― 律令国家ができるまで

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「はなはだ道理がない」と言われてから百年 ― 律令国家ができるまで

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600年、隋へ送った最初の使いは、皇帝から道理に合わないと言われて帰ってきました。そこから百年で、この国は律令をもつ国になります。

書かれなかった最初の使い

600年、倭から隋へ使いが送られました。

ところが、この使いのことは『日本書紀』に出てきません。分かるのは中国側の史書『隋書』の倭国伝によってです。

『隋書』によれば、隋の文帝は使者に倭国の政治のやり方を尋ねました。使者はこう答えます。倭王は天を兄とし、日を弟としている。夜が明けないうちに出て政務を執り、日が昇ると「あとは弟に任せる」と言って退く――。

これを聞いた文帝は言いました。「此れ太(はなは)だ義理なし」。まったく道理に合わない、という意味です。そして改めるように訓した、と記されています。

何が問題だったのか

隋は、その十数年前に中国を統一したばかりの新しい帝国です。均田制、租庸調、科挙。法と制度で国を動かす仕組みを整えつつありました。

その皇帝から見れば、倭の答えは制度の説明になっていません。誰がどの役職に就き、何をもとに税を集め、どんな法で裁くのか。そこが答えられなかった。

文帝が咎めたのは、蛮風そのものというより、「国の仕組みを説明できないこと」だったと読めます。

『日本書紀』がこの使いを載せていないのは、この出来事が都合の悪い記憶だったからではないか、という見方があります。

十年でやったこと

そこからの動きは速いものでした。

603年、冠位十二階。徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小に分けた十二の位を定め、冠の色で示しました。重要なのは、この位が個人に与えられ、功績によって上がる点です。それまで地位は氏(うじ)という家に結びついていました。

604年、十七条憲法。役人の心構えを説いたもので、法典ではありません。ただ、和をもって貴しとなす、詔をうけたまわりては必ず謹め、といった条文は、豪族の連合ではなく天皇を中心とした官僚組織を前提にしています。

どちらも『日本書紀』が推古朝の出来事として記すもので、年次には議論もあります。それでも、600年の訓戒から数年のあいだに「説明できる仕組み」を作りにかかったことは確かです。

607年、日出づる処の天子

そして607年、小野妹子が隋へ渡ります。

持たされた国書の書き出しが、よく知られています。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」。

煬帝は不機嫌になり、「蛮夷の書に無礼なものがある。二度と取り次ぐな」と言ったと『隋書』は記します。

自分を天子と名のったことが問題でした。中国の世界観では天子はひとりです。ただし、日出づる処・日没する処という言い方自体は東西を指す慣用にすぎない、という読み方もあります。

ここで注目したいのは、煬帝が怒りながらも、翌608年に裴世清(はいせいせい)を答礼の使いとして倭へ送っていることです。関係は切れませんでした。

人を置いてきた

「南淵先生墓」と刻まれた石碑。集落の道の角に、石を積んだ小さな塚とともに立つ
南淵請安の墓と伝わる石碑。608年に隋へ渡り、640年に帰国した

608年、裴世清が帰るのに合わせて、妹子は再び海を渡ります。このとき八人の留学生・学問僧が同行しました。

旻(みん)、高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなぶちのしょうあん)。のちに飛鳥を動かすことになる人たちです。

使いは行って帰るだけですが、留学生は現地に残ります。旻の帰国は632年、高向玄理と南淵請安は640年。三十年あまりを向こうで過ごしました。しかもそのあいだに隋が滅び、唐になっています。新しい王朝が制度を組み直していく過程を、そのまま見たことになります。

最初の使いが答えられなかった問いへの答えを、人を送って学ばせる形で手に入れにいった。そう見ることができます。

帰ってきた年に、何が起きたか

南淵請安は飛鳥で塾を開きました。『日本書紀』は、中大兄皇子と中臣鎌足がそこへ通い、行き帰りの道で語り合ったと記します。

645年、乙巳の変。蘇我入鹿が討たれます。請安の帰国から五年後です。

変のあと、旻と高向玄理は国博士(くにのはかせ)に任じられました。新しい政治の設計を任される役です。唐で制度を見てきた二人が、その中心に置かれた。

翌646年には改新の詔が出されます。公地公民、国郡の区分、戸籍と班田収授、租庸調。600年に説明できなかった項目が、そのまま並んでいます。

もっとも、この詔の文面は後の時代の用語で書き直されている可能性が指摘されています。掲げられた方針が、そのとき実際にどこまで動いたのかは分かりません。

敗戦が急がせた

飛鳥水落遺跡の中央部。並んだ柱の跡と、水時計の水を通した石敷や導水管の跡
飛鳥水落遺跡。660年、日本で最初の水時計が置かれた

660年、斉明天皇の時代に、飛鳥の水落に漏刻(水時計)が設けられます。中大兄皇子が作らせたと『日本書紀』は記します。

時計は国の道具です。役人が何時に出仕し、何時に交代するのか。時刻を国が決めて鐘や鼓で知らせる。律令の役所は、そういう仕組みの上で動きます。

そして663年、白村江の戦い。百済を助けるために送った軍が、唐と新羅の連合軍に大敗します。

この敗戦のあと、国内の整備が一気に進みました。防衛のための水城や山城を築き、670年には庚午年籍(こうごねんじゃく)という全国的な戸籍を作ります。誰がどこに何人いるのかを国が把握する。徴税と徴兵の土台です。

外からの圧力が、制度づくりを急がせたことになります。

令と、都

建物の柱の位置を示す白い標柱が並ぶ飛鳥宮跡。奥に飛鳥の集落と丘陵
飛鳥宮跡。建物の柱の位置が白い標柱で示されている

672年の壬申の乱を経て、天武天皇が即位します。

684年、八色の姓(やくさのかばね)。氏の序列を国が定め直しました。689年には飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が施行されます。690年には庚寅年籍が作られ、以後六年ごとに戸籍を作ることが定まりました。

制度が整うと、それを収める器が要ります。天皇が代わるたびに宮を移していたやり方では、増えた役所を置けません。

694年、持統天皇は藤原京へ遷ります。碁盤の目に道を通し、宮を中心に据えた、日本で最初の本格的な条坊制の都でした。

701年、大宝律令

藤原宮跡いっぱいに広がる秋のコスモス畑。奥に大和三山のひとつ耳成山
藤原宮跡。694年から16年間、ここに都が置かれた

701年、大宝律令が完成します。律(刑法)と令(行政法)がそろった、この国で最初の体系的な法典です。

同じ年、大宝という年号が立てられました。翌702年には粟田真人を執節使とする遣唐使が送られ、「日本」という国号を唐に伝えています。

法典があり、年号があり、国号がある。600年に「道理がない」と言われてから、ちょうど百年後のことです。

何が変わったのか ― 公地公民と中央集権

いちばん大きいのは、土地と人が誰のものか、という原則が変わったことです。

それまで、豪族はそれぞれ自分の土地と自分の民を持っていました。私有地を田荘(たどころ)、私有民を部曲(かきべ)といいます。税も労役も、豪族が自分の民から取り、その一部を大王に差し出す。大王は、そうした豪族の連合の上に立つ盟主に近い存在でした。

改新の詔が掲げたのが公地公民です。土地も人民も、すべて国家のものとする。豪族の私有を認めない、という原則でした。

これが通ると、国の仕組みが根本から変わります。国が戸籍を作って人を直接把握し、班田収授によって田を割り当て、租庸調として税を直接取る。あいだに立っていた豪族は、国司・郡司という官職に組み込まれ、国の役人として働くことになります。

全国は国・郡・里に区分され、中央から国司が派遣されました。地方の豪族がそれぞれの領分を持つ体制から、都を頂点として全国を一つの制度で動かす中央集権の国家へ。これが律令国家の中身です。

人の地位も同じ原理で変わりました。どの氏に生まれたかで決まっていたものが、位階として個人に与えられ、位階に応じた官職に就き、位階に応じた給与を受ける形になります。人は制度のなかの一点に置かれ、記録され、入れ替えが可能になりました。

もっとも、掲げた原則がそのまま通ったわけではありません。郡司には在地の豪族が就き、実際の力はその土地に残り続けます。班田収授の仕組みも、8世紀のうちに行き詰まっていきました。それでも、土地と人は国のものだという建前が置かれたことが、その後の千年を規定します。

以前のコラムで、古墳が造られなくなった理由にふれました。墓の大きさで力を示す必要がなくなったのは、まさにこの変化のためです。地位は制度のなかで決まり、制度のなかで示されるようになりました。

飛鳥で見る

この百年の舞台は、ほとんどがこの村のなかにあります。

飛鳥宮跡には、板蓋宮から浄御原宮まで、宮が何度も重なって建てられた跡が残ります。乙巳の変の舞台と伝わる場所です。

水落遺跡には水時計の基礎が、隣の石神遺跡には使いをもてなした施設の跡があります。蝦夷や隼人を饗応した場とみられており、国として客を迎える形が整えられていく時期のものです。

そして藤原宮跡。いまは広い草地で、春は菜の花、秋はコスモスが咲きます。碁盤の目の都があった場所とは思えない静けさですが、ここが百年の到達点でした。

「はなはだ道理がない」と言われた国は、百年後、自分の法と年号と国号を持つ国になっていました。

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