飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/宮と都

ガラスは長いあいだ、海の向こうから運ばれてくるものでした。それが飛鳥時代の終わりに、明日香村の飛鳥池工房で原料から作られるようになります。日本で初めてのガラスの一次生産です。どこから来た技術で、何に使われたのか。出土品からたどります。

壬申の乱に勝って飛鳥に戻った天武天皇は、大臣を置かず、皇族とともに国を動かしました。豪族の民を国のものにし、家の格と人の位を天皇が決め、法と国の歴史を書かせる。律令国家の骨組みが見えてくるまでの14年をたどります。

684年、天武天皇は豪族の姓を八つの位に並べ直しました。かつて朝廷の頂点を分け合った臣と連は、6番目と7番目に。だれが上がり、だれが残されたのか。柿本人麻呂や大伴家持の名前にも、その跡が残っています。

蘇我馬子は大臣、物部守屋は大連。どちらも朝廷の最上位ですが、「臣」と「連」はもともと成り立ちの違う呼び名でした。土地の名を名乗る豪族と、仕事の名を名乗る家。その違いから、飛鳥の政治を読み解きます。

2026年に世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。19件の構成資産を、場所と見どころがひと目で分かる一覧にまとめました。飛鳥駅から歩く定番コース、三つのエリアに分けた半日コース、奥飛鳥へ足を延ばすコース、1日・2日で全部をめぐるモデルコースを紹介します。

「飛鳥」は奈良の明日香だけではありません。大阪府の羽曳野市や太子町のあたりにも飛鳥があり、古くは「近つ飛鳥」と呼ばれました。対する大和の飛鳥が「遠つ飛鳥」。近い・遠いは、どこから見た言い方なのでしょうか。

冠位十二階、憲法十七条、遣隋使。教科書でおなじみの聖徳太子は、明日香の橘寺で生まれたと伝えられます。日本書紀が描く太子の歩みと、「聖徳太子」という名前の成り立ちをたどります。

「春過ぎて夏来るらし」で始まる、持統天皇の香具山の歌。初夏の景色を詠んだ一首として親しまれていますが、そこに持統天皇自身の野心が出ているという読み方もあります。