飛鳥の明日香の里を(明日香村)コラム明日香法 ― この景色は、住んでいる人の制約の上にある

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明日香法 ― この景色は、住んでいる人の制約の上にある

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村の境を越えると、景色がはっきり変わります。飛鳥の風景が残っているのは偶然ではなく、この村だけを対象にした法律があるからです。

村境で、景色が変わる

「国営飛鳥歴史公園 甘樫丘地区」と刻まれた石碑。奥に木立と休憩所の建物
国営飛鳥歴史公園の甘樫丘地区。展望台からは飛鳥の宮跡も大和三山も見渡せる

甘樫丘の展望台に立つと、飛鳥の宮跡も、大和三山も、藤原宮跡も一度に見渡せます。

そのまま北へ目を移すと、景色が切り替わるのが分かります。橿原市の側には、中高層の建物が並び、大きな看板が立ち、幹線道路沿いに店舗が続いている。

村の側には、それがありません。二階建てより高い建物がほとんどなく、屋根は瓦で、色は落ち着いています。田と畑と集落と丘のあいだに、視界をさえぎるものが少ない。

この違いは、偶然ではありません。

この村だけの法律

1980年(昭和55年)に、明日香村だけを対象とした法律がつくられました。

正式には「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」といいます。長いので、明日香法と呼ばれます。

ひとつの村のためだけに法律が作られるのは、例のないことです。

なぜ必要になったのか

経緯をたどると、1966年(昭和41年)の古都保存法にさかのぼります。京都・奈良・鎌倉といった古都の歴史的風土を守るための法律で、明日香村も対象になりました。

ところが、この村には事情がありました。遺跡が村の一部にあるのではなく、村全体が遺跡の上にあるのです。宮の跡、寺の跡、古墳、そのどれもが田畑と集落のあいだにある。

1970年代、宅地化の波がこの一帯にも押し寄せます。近鉄の沿線であり、大阪へ通える距離です。開発が進めば、地下の遺構は掘り返され、景観は変わります。

しかし規制を強めれば、そこに住んでいる人が家を建てられなくなる。保存と生活のどちらも立てる仕組みが要る。そうして1980年の明日香法ができました。

第1種と第2種

明日香法は、村の区域を大きく二つに分けます。

第1種歴史的風土保存地区は、歴史的風土の保存のうえで要となる範囲です。現状の変更を厳しく抑え、いまの状態のまま維持することを目指します。宮跡や古墳のまわり、丘陵などがこれにあたります。

第2種歴史的風土保存地区は、著しい現状変更を抑える範囲です。集落や農地が含まれ、基準に沿えば建てられます。

重要なのは、村のほぼ全域がどちらかに入っているという点です。ほかの古都では市域の一部が指定されるところを、この村では逃げ場がありません。

実際に何が制限されるのか

家を建てる、建て替える、増築する。土地の形を変える。木を伐る。看板を出す。これらには許可が要ります。

そして、建てられる場合も中身が細かく決まっています。屋根を例にとります。

形は、切妻・入母屋・寄棟・方形・差掛けといった勾配屋根であること。片流れの屋根や招き屋根は認められません。極端に緩い勾配も、逆に急すぎる勾配も外れます。

葺く材料は、和型瓦(J型)、わら、檜皮(ひわだ)、銅板、木材、またはそれらに似た外観のものに限られます。しかも和型瓦を使う場合は、いぶし瓦であること。つまり、いま一般に流通している平板瓦やスレート、カラー鋼板の屋根は、そのままでは使えません。

外壁も同じように決まっています。表面は土、漆喰、木板、またはそれらに似た外観の材料で仕上げること。柱を見せない仕上げにして吹付けなどで仕上げる場合は、色を白・ベージュ・グレーといった範囲に収めること。

高さや階数、敷地のなかでの建物の位置にも基準があります。村を歩いていて二階建てより高い建物をほとんど見かけないのは、このためです。

新しい家もどこか落ち着いて見えるのは、これだけの条件をひとつずつ通ってきているからです。コンビニの看板の色が抑えられているのも同じ理由です。

ここに挙げたのは集落のある地区での例で、地区や建てるものによって基準は変わります。実際に建てる際は、村の窓口で確認することになります。

逆に言えば、住んでいる人は、自分の土地に自分の好きな家を建てられないということでもあります。屋根の葺き方ひとつ、外壁の色ひとつが、許可の対象になります。

規制だけではない

明日香法は、制限だけを課す法律ではありません。名前に「生活環境の整備等」と入っているとおり、もう半分は支える側の仕組みです。

国が明日香村整備計画を定め、道路や上下水道、公共施設の整備について、通常より高い割合で費用を負担します。明日香村整備基金も設けられ、その運用によって村の事業が支えられてきました。

国営飛鳥歴史公園が置かれたのも、この枠組みのなかでのことです。

保存を求める以上、その負担を村だけに背負わせない。そこまで含めて一つの法律になっています。

それでも、負担は残る

初夏の稲渕の棚田。水を張った段々の田と、谷の奥に続く集落と山並み
稲渕の棚田。維持しているのは、そこに住む人たちの手

とはいえ、暮らしの側の制約が消えるわけではありません。

子どもが世帯を持つときに、実家のそばに家を建てにくい。農地を宅地に変えられない。店を出そうにも、建てられるものが限られる。手続きに時間がかかる。

積み重なれば、若い世代は村の外に住まいを求めることになります。人口は減り、田畑を維持する手も減っていく。

国の審議会でも、この村の歴史的風土を将来にわたって保存していくには、住民生活の安定や産業の振興との調和が欠かせない、と繰り返し指摘されています。法律ができて40年以上が経ったいまも、そこが課題であり続けているということです。

棚田にしてもそうです。日本の棚田百選に選ばれた稲渕の景色は、農業として維持されているから残っています。畦を直し、水路をさらい、彼岸花の咲く土手を守る。誰かが手を入れなくなれば、数年で山に戻ります。

この景色は、ただではない

訪ねる側から見れば、明日香村の景色は「昔のまま残っている」ように映ります。

実際には、残っているのではなく、残されているというほうが近い。法律で制限をかけ、費用を投じ、住んでいる人が不便を引き受けることで、その状態が保たれています。

甘樫丘から見える視界の広さは、そこに高い建物が建たないという約束でできています。屋根の色がそろっているのは、家を建てた人がそれぞれ基準に従ったからです。

写真を撮るときや、静かでいいですねと言うとき、その裏側に何があるのかを少し思い出してもらえると、この村を歩く意味が変わると思います。

歩くときに

見学者向けに整備された場所と、そうでない場所が混ざっています。田のあいだの道は生活道路であり、農道です。

路上に車を停めない。畦や私有地に入らない。柵の中へ立ち入らない。ごく当たり前のことですが、遺跡と住まいがこれだけ近い場所では、境目が見えにくくなります。

国営飛鳥歴史公園の各地区には駐車場があり、飛鳥歴史公園館では村全体の成り立ちを知ることができます。まずそこへ寄ってから歩き出すと、見えるものが変わります。

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