飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/蘇我氏

飛鳥寺、豊浦寺、山田寺、川原寺、大官大寺、本薬師寺。誰が、何のために建てたのか。そこを押さえると、寺の跡の見え方が変わります。

三通りの雨乞いが順に試され、最後に天皇が飛鳥川の上流で祈ると、五日間降り続きました。『日本書紀』がこの順番を丁寧に書き分けたことには、意味があります。

遺跡と時代は「飛鳥」、村の名前は「明日香」。読みは同じなのに字が違うのはなぜか。そもそも「アスカ」とは何なのか。

海に近い大阪の水路か、それとも飛鳥の小さな池か。『日本書紀』が仏像を捨てた場所として記す「難波の堀江」は、二つの候補を持ったまま今日に至っています。

蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと『日本書紀』は書きます。ところが掘っても決め手が出てこない。そして甘樫坐神社は、その丘から少し離れた場所に鎮座しています。

父・継体天皇の即位から、子どもたちが相次いで皇位を継ぐまで。飛鳥時代の入口に立つ天皇をたどります。