飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/欽明天皇という結節点 ― いまの皇室へつながる血筋
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父・継体天皇の即位から、子どもたちが相次いで皇位を継ぐまで。飛鳥時代の入口に立つ天皇をたどります。
『日本書紀』によれば、武烈天皇が亡くなったとき、皇位を継ぐべき人がいませんでした。そこで越の国にいた男大迹王(をほどのおおきみ)が迎えられます。のちの継体天皇です。応神天皇の五世の孫にあたるとされますが、血筋としてはかなり遠く、大和の中枢から離れた地にいた人物でした。
注目されるのは、迎えられた際に武烈天皇の姉にあたる手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后としている点です。大和の王統に連なる女性を妻に迎えるかたちで即位しており、実質的に婿入りに近い形だったのではないか、という見方があります。
継体天皇の没後、皇位を継いだのは安閑天皇と宣化天皇でした。二人は欽明天皇の腹違いの兄にあたります。
この兄二人の母は、一説には尾張の豪族の娘とされます。継体天皇が大和に入る前に結ばれた妻の子ということになり、大和の王統を母方に持つ欽明天皇とは立場が異なっていました。安閑・宣化の在位はいずれも短く、続いて欽明天皇が即位します。
この継承の過程については、単純な順送りではなかったのではないか、という説があります。安閑・宣化の朝廷と欽明の朝廷が並び立ち、両者のあいだに対立や争いがあったとする見方です。
『日本書紀』の記述だけでは経緯を読み切れない部分が多く、この時期の皇位継承は今も議論の対象になっています。
欽明天皇の在位は30年を超え、それ以前の短い治世が続いた時期とは対照的に、長く安定したものになりました。仏教が伝わったとされるのもこの時代です。飛鳥時代へと向かう流れは、ここから明確になっていきます。
欽明天皇の子どもたちは、相次いで皇位に就きました。敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、そして推古天皇です。用明天皇は聖徳太子の父にあたり、推古天皇は日本で最初の女帝として明日香の豊浦宮で即位しました。
つまり飛鳥時代の主要な天皇は、いずれも欽明天皇を父に持ちます。そしてこの血筋が、のちの世まで受け継がれていきました。欽明天皇は、現在の皇室へとつながる系譜のうえで、始祖に近い位置に立つ天皇だと言えます。
推古天皇が即位した豊浦宮の跡、蘇我馬子が建てた飛鳥寺、聖徳太子の生誕地と伝わる橘寺。明日香に残る場所の多くは、欽明天皇の子や孫の時代のものです。平田の欽明天皇陵を訪ねるときは、そこから始まる系譜を思い浮かべてみてください。
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明日香村では数少ない大型の前方後円墳。

あすかでら・そがのいるかくびづか
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聖徳太子の生誕地と伝わる寺。二面石が残る。
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