飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/天皇陵

2026年7月26日に登録されました。選ばれたのは宮殿と寺と墓の跡だけ、しかもほとんどが地下にあります。この19件が示しているのは、日本という国のしくみができあがっていく百年あまりです。

690年、日本で持統天皇が即位した年に、唐では則天武后が皇帝になりました。その半世紀前には新羅にも女王が立っています。7世紀の東アジアで、なぜ女性の君主が続いたのか。

誰の墓かがほぼ確実とされる天皇陵は、ごくわずかです。この陵がそうであるのは、1235年の盗掘で作られた調書が残っていたからでした。

近鉄飛鳥駅の周り、平田・野口・越。数キロ四方に、天皇の陵とされる古墳がいくつも並んでいます。これほど密集した場所は、ほかにありません。

三百年以上にわたって大きくなり続けた墳丘が、七世紀のうちに小さくなり、八世紀の初めに途絶えます。理由はひとつではありません。

円でも方形でもない、八つの辺をもつ墳丘。七世紀の半ばから八世紀の初めまでの六十年ほど、この形は天皇の陵にだけ使われました。

父・継体天皇の即位から、子どもたちが相次いで皇位を継ぐまで。飛鳥時代の入口に立つ天皇をたどります。

明日香村最大の前方後円墳をめぐっては、被葬者について複数の説が唱えられてきました。