飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/日本書紀

690年、日本で持統天皇が即位した年に、唐では則天武后が皇帝になりました。その半世紀前には新羅にも女王が立っています。7世紀の東アジアで、なぜ女性の君主が続いたのか。

飛鳥寺、豊浦寺、山田寺、川原寺、大官大寺、本薬師寺。誰が、何のために建てたのか。そこを押さえると、寺の跡の見え方が変わります。

三通りの雨乞いが順に試され、最後に天皇が飛鳥川の上流で祈ると、五日間降り続きました。『日本書紀』がこの順番を丁寧に書き分けたことには、意味があります。

豊浦、小墾田、岡本、板蓋、川原、浄御原。百年のあいだに宮は何度も移り、そして動かなくなりました。

600年、隋へ送った最初の使いは、皇帝から道理に合わないと言われて帰ってきました。そこから百年で、この国は律令をもつ国になります。

遺跡と時代は「飛鳥」、村の名前は「明日香」。読みは同じなのに字が違うのはなぜか。そもそも「アスカ」とは何なのか。

街灯が少ないので、日が落ちると空が近くなります。そしてこの村には、飛鳥時代の人が星をどう見ていたかが、そのまま残っています。

海に近い大阪の水路か、それとも飛鳥の小さな池か。『日本書紀』が仏像を捨てた場所として記す「難波の堀江」は、二つの候補を持ったまま今日に至っています。