飛鳥の明日香の里を(明日香村)コラム皇極天皇が、川上で祈った日 ― 642年の雨乞い

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皇極天皇が、川上で祈った日 ― 642年の雨乞い

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三通りの雨乞いが順に試され、最後に天皇が飛鳥川の上流で祈ると、五日間降り続きました。『日本書紀』がこの順番を丁寧に書き分けたことには、意味があります。

642年の夏、雨が降らなかった

皇極天皇が即位した年の夏です。ひどい旱(ひでり)が続きました。

田に水が入らなければ、その年の米はありません。雨が降るかどうかは、国の存立に直結する問題でした。

『日本書紀』は、このとき行われた雨乞いを三段階に分けて記しています。

一度目 ― 村々のやり方

まず、村々の祝部(はふり)が教えるとおりの方法が試されました。

牛や馬を殺して諸社の神に祈る。市を別の場所へ移す。川の神に祈る。『書紀』はこの三つを並べて挙げています。

牛馬を殺す祭りは、渡来してきた人たちがもたらした雨乞いの作法とみられています。市を移すというのも、土地の気を変えるという古い考え方によるものでしょう。

結果は、「かつて効験なし」。まったく効き目がなかった、と書かれています。

二度目 ― 蘇我蝦夷の仏教

次に動いたのが、大臣の蘇我蝦夷でした。

寺の南の庭に仏と菩薩の像、四天王の像を並べ、僧を大勢招いて大雲経などを読ませます。蝦夷自身が香炉を手に取り、香を焚いて願を発しました。

翌日、小雨が降ります。しかしその次の日には、もう降らせることができず、読経は打ち切られました。

国家的な規模の仏事です。当時の蘇我氏の力を思えば、これ以上ないほど手を尽くした形でした。それでも、一日の小雨で終わっています。

三度目 ― 天皇が川上へ

石積みの堰から白く落ちる飛鳥川の水。奥の斜面に柿の木が並ぶ
飛鳥川の上流。石積みの堰から水が落ちる

八月一日、皇極天皇は南淵(みなぶち)の河上へ出かけます。飛鳥川の上流にあたる場所です。

天皇はそこで跪き、四方を拝し、天を仰いで祈りました。

すると雷が鳴り、大雨が降ります。雨は五日間続き、広く天下を潤した、と『書紀』は記します。

人々は口をそろえて、至徳(いきおいまします)天皇である、と称えました。徳が至り極まった天皇、という意味です。

なぜ、この順に書かれたのか

三段階の順序を、あらためて並べてみます。

村々の在来のやり方では降らなかった。蘇我蝦夷の仏事でも、一日の小雨しか降らなかった。天皇が自ら祈ると、五日間の大雨が降った。

この書き方は、意図を持って組まれています。『日本書紀』が編まれたのは八世紀の初め、天皇を中心とする国家が形を整えたあとです。編纂者にとって、蘇我氏は討たれるべき存在でした。

皇極天皇の在位はわずか四年で、その最後の年に乙巳の変が起きます。蝦夷は自邸に火を放って死に、蘇我本宗家は滅びました。雨乞いの記事は、その三年前に置かれています。

蘇我氏がどれだけ仏に祈っても降らず、天皇が祈ると降った。この対比は、変の正当性を読者に準備させる働きをします。

実際に何が起きたのかは分かりません。ただ、雨が降ったという事実があり、それを誰の功績として書くかという選択があったことは確かです。

場所はどこか

杉木立と苔に囲まれた飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社の社殿
飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社。飛鳥川の水源を守る社

「南淵の河上」とされる場所は、いまの稲渕(いなぶち)のあたりと考えられています。南淵が稲渕になった、という見方です。

その川上に、飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)があります。平安時代の『延喜式』神名帳に載る古社で、祀られているのは飛鳥川の水源を守る神です。

雨乞いが行われた場所をこの神社に結びつける伝承があります。確かめようはありませんが、水の神を祀る社が川上にあり、そこへ天皇が出向いて祈ったという構図は、よく噛み合います。

飛鳥の宮で使う水は、この上流から流れ下ってきます。水の始まりに立って祈る、という行為には理屈があります。

水と境の神事は、いまも続いている

飛鳥川の上に渡された男綱。中ほどに稲藁で作られた飾りが下がり、奥に橋が見える
稲渕の男綱。飛鳥川の上に渡されている

この神社の神事として、いまも続いているものがあります。稲渕の男綱です。

毎年一月、飛鳥川をまたいで藁の綱が架け替えられます。悪いものが村へ入らないようにする勧請縄で、上流の栢森には対になる女綱があります。

水源を守る神が、村の入口に綱を張る。水と境界という二つの役目が、ひとつの社に重なっています。1400年前に雨を願った場所で、いまも川をまたいで綱が張られている。

雨が降ることは、政治だった

旱や長雨は、たびたび為政者の徳と結びつけて語られました。天の異変が地上の政治を映すという考え方は、中国から入ってきたものです。

だからこそ、雨乞いは天皇が自ら行う行為になりました。祈って降れば徳があり、降らなければ徳がない。危険な賭けでもあります。

皇極天皇は、のちに重祚して斉明天皇となり、飛鳥で大規模な土木工事を進めた人でもあります。水路を掘り、石を積み、水を扱う施設を次々に造りました。民から「狂心の渠」と呼ばれた工事もそのひとつです。

川上で雨を祈った天皇と、水路を掘り続けた天皇が、同じ人物です。

訪ねる

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社へは、近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「稲渕」下車、徒歩15分ほど。棚田で知られる稲渕から、さらに川沿いを奥へ入ったところにあります。

杉の木立に囲まれた境内は苔に覆われ、灯籠と狛犬のほかには何もありません。訪れる人もほとんどいません。

集落の氏神です。静かに参拝してください。

川沿いを少し戻れば男綱があり、さらに上流の栢森には女綱があります。水の神と、川と、綱。三つをつなげて歩ける道のりです。

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