飛鳥の明日香の里を(明日香村)コラム飛鳥と明日香 ― 同じ土地の、二つの書き方

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飛鳥と明日香 ― 同じ土地の、二つの書き方

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遺跡と時代は「飛鳥」、村の名前は「明日香」。読みは同じなのに字が違うのはなぜか。そもそも「アスカ」とは何なのか。

この村を歩いていると、二つの書き方が並んでいることに気づきます。

飛鳥寺、飛鳥宮跡、飛鳥時代、国営飛鳥歴史公園。一方で、住所は明日香村。役場も明日香村役場です。

どちらも読みは「あすか」。同じ土地を指しています。

「飛鳥社」の扁額を掲げた飛鳥坐神社の鳥居と、社殿へ続く石段
飛鳥坐神社の鳥居。扁額には「飛鳥社」とある

もとの表記は「明日香」のほう

先にあったのは「明日香」だと考えられています。「飛鳥」は、あとから当てられた字です。

手がかりは枕詞です。古い歌では、明日香という地名の前に「飛ぶ鳥の」という言葉が置かれます。「飛ぶ鳥の明日香」という言い回しが決まり文句になっていました。

『万葉集』に、こういう歌があります。

「飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去(い)なば 君があたりは 見えずかもあらむ」

藤原京から平城京へ都を移すときの歌とされ、元明天皇の作と伝わります。明日香の里を置いて行ってしまえば、あなたのあたりはもう見えなくなるだろうか、という内容です。

ここで注目したいのは書き方です。地名は「明日香」と書かれ、その前に「飛ぶ鳥の」が付いている。

枕詞が、地名の字になった

いつも「飛ぶ鳥の明日香」と続けて使われるうちに、枕詞のほうが地名の表記そのものに使われるようになります。

「飛鳥」と書いて「あすか」と読む。字と音が一致していないのは、そのためです。読み方の規則からは説明がつきません。決まり文句の前半を、地名の看板に流用したようなものです。

なぜ明日香に「飛ぶ鳥の」がかかるのかは、これもはっきりしていません。

686年、宮の名前になる

建物の柱の位置を示す白い標柱が並ぶ飛鳥宮跡。奥に飛鳥の集落と丘陵
飛鳥宮跡。白い標柱が建物の柱の位置を示す

「飛鳥」という表記が公のものとして現れる場面が、『日本書紀』にあります。

686年(朱鳥元年)、天武天皇は年号を朱鳥(あかみとり)と改め、あわせて宮を飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)と名づけた、と記されています。

鳥にちなむ改元と、飛鳥という宮の名。同じ記事のなかに並んでいます。この前後で「飛鳥」の字が定着していったとみる考え方があります。

そもそも「アスカ」とは

では、字ではなく音のほうはどこから来たのか。ここは決着していません。いくつも説があります。

ひとつは安宿(あすか)説です。渡来してきた人たちが安住の地としたことから、というもの。この一帯には檜隈をはじめ渡来系の人々の足跡が濃く残っており、その意味では筋が通ります。

地形から説明するものもあります。「スカ」は砂州や砂地を指す古い言葉で、川がつくった土地を表しているという読み方です。飛鳥川が運んだ土砂の上に集落ができたことを考えると、こちらも無理がありません。

柿の実が残る谷あいの小川。岩のあいだを水が落ちていく
飛鳥川の上流。この水が運んだ土砂の上に、下流の土地ができた

そして、蘇我に由来するという説もあります。この地は蘇我氏の本拠でした。蘇我(そが)の地、という言い方が転じて「あすか」になったのではないか、というものです。

どれも決め手を欠いています。地名の語源は、文字で書かれる前の音を追うことになるので、確かめようがない場合がほとんどです。

都が移ったあと、名前も移った

飛鳥寺の山門と「飛鳥大佛」と刻まれた石標
飛鳥寺。平城京へ移った先は元興寺と呼ばれ、こちらは本元興寺と呼ばれた

710年、都は平城京へ移ります。人も、役所も、寺も移りました。

飛鳥寺もそのひとつです。平城京に移された伽藍は元興寺(がんごうじ)と呼ばれ、飛鳥に残ったほうは本元興寺(もとがんごうじ)と呼ばれるようになりました。本家のほうが「もと」と呼ばれる。移転とは、そういうことです。

地名も移りました。奈良市には、いまも飛鳥という地名があります。飛鳥町があり、飛鳥小学校も飛鳥中学校もあります。明日香から移り住んだ人たちが、もとの土地の名を新しい場所に持ち込んだものと考えられています。

土地の名前は、土地に固定されているようで、人と一緒に動きます。

明日香村という名前

いまの明日香村ができたのは1956年(昭和31年)です。高市村・阪合村・飛鳥村の三つが合併しました。

このとき、三村のひとつが「飛鳥村」でした。合併してできる新しい村にその名をそのまま使えば、残る二村からは呑み込まれたように見えます。合併では、どの旧村名も採らないという判断がよく取られます。

選ばれたのが「明日香」でした。古い表記に戻った形であり、同時にどの旧村の名でもない。明日への香り、という読みも語られます。

1980年(昭和55年)には、この村だけを対象とする法律がつくられました。通称を明日香法といいます。村全体を歴史的風土として保存し、そのぶん制限を受ける暮らしを支える、という仕組みです。法律の名にも「明日香村」が入っています。

冬の田に立つ「にお」。稲わらを円錐形に積み上げてある
稲わらを積んだ「にお」。名前の議論とは別に、土地の使われ方は続いている

いまの使い分け

整理すると、おおよそこうなります。

時代の名前、遺跡の名前、古代を指す言葉には「飛鳥」を使います。飛鳥時代、飛鳥寺、飛鳥宮跡、飛鳥京跡苑池。国が整備した公園も国営飛鳥歴史公園です。

いまの行政の地名としては「明日香」を使います。明日香村、明日香村役場、明日香法。

どちらかが正しいというものではありません。同じ土地を、古代から呼ぶか、いまの行政から呼ぶかの違いです。

ただし例外はあります。飛鳥坐神社、飛鳥川、飛鳥駅。神社も川も駅も、行政区画とは別に名前を持っています。

歩くと両方に出会う

冬の明日香の里。用水路と刈り取りのすんだ田、奥に集落と山並み
刈り入れのすんだ田と用水路。冬の明日香

飛鳥駅で降りて、明日香村を歩き、飛鳥宮跡を見て、明日香村役場の前を通る。

一日のあいだに、両方の看板を何度も見ることになります。混乱するというより、この土地が千三百年のあいだ呼ばれ続けてきた証拠のようなものです。

同じ音が、字を変えながら残っている。飛鳥坐神社の鳥居に掲げられた「飛鳥社」の扁額を見上げるとき、その字がなぜ「あすか」と読まれるのかを思い出すと、少し見え方が変わります。

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