
690年、日本で持統天皇が即位した年に、唐では則天武后が皇帝になりました。その半世紀前には新羅にも女王が立っています。7世紀の東アジアで、なぜ女性の君主が続いたのか。

隋へ、唐へ。数十年を海の向こうで過ごし、帰ってきた人たちがいます。彼らが持ち帰ったのは、物ではなく、国の仕組みそのものでした。

藤原鎌足の長男は、十一歳で唐へ渡りました。帰ってきたのは二十三歳の秋。そしてその年の暮れに没しています。毒殺だったと書き残したのは、身内でした。

遣隋使として三十年あまりを大陸で過ごした学者のもとに、中大兄皇子と中臣鎌足が通いました。稲渕の坂道に、その塾があったと伝わります。

父・継体天皇の即位から、子どもたちが相次いで皇位を継ぐまで。飛鳥時代の入口に立つ天皇をたどります。