飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/本薬師寺跡
もとやくしじあと
礎石が当時の位置に残る、双塔式伽藍の国家寺院跡。
藤原京の西南、条坊のなかに計画的に配置された国家寺院の跡です。天武天皇9(680)年、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願したと伝えられます。
1921年に国の史跡、1952年に特別史跡に指定されました。
金堂、東塔、西塔の基壇跡がよく残っています。現在、医王院(いおういん)と呼ばれる寺院建物が建つ金堂跡には、礎石が当時の位置のまま残されています。
水田のなかに土盛り状に残された東西両塔の基壇跡のうち、東塔の基壇上には塔の心礎(しんそ)と礎石が、西塔の基壇上には心礎が残っています。
礎石が動かされずに残っている例は多くありません。塔がどこに立っていたかを、その場で確かめられます。
発掘調査は1979年に始まりました。金堂・東塔・西塔・中門・回廊などの規模が明らかになり、いま地表に見えるものが伽藍のどこにあたるのかが分かるようになっています。
中門、金堂、講堂が南北に一直線に並び、金堂と中門のあいだに東西二つの塔が置かれる。この双塔式の配置は「薬師寺式伽藍配置」と呼ばれ、本薬師寺がその名のもとになっています。
710年の平城京遷都のあと、奈良に薬師寺が建てられます。その配置と規模は、この本薬師寺を受け継いだものです。いま奈良で見る薬師寺の姿の原型が、この水田のなかにあります。
「本薬師寺」という呼び名は、平城京の薬師寺に対して「もとの薬師寺」という意味で使われるようになったものです。
境内に立つ古い石柱には「史蹟 元薬師寺阯」と刻まれています。「本」と「元」、どちらの字も使われてきました。
2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産のひとつとして世界遺産に登録されました。
近鉄畝傍御陵前駅から東へ徒歩約10分。城殿(きどの)町の集落のなかにあります。金堂跡には医王院のお堂が建ち、そのまわりに礎石が点々と残っています。夏には周囲の水田がホテイアオイの花で埋まることでも知られます。
公開日 /更新日
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