飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/男綱と女綱 ― 同じ谷で、神と仏に分かれた綱
公開日
飛鳥川に、稲藁の綱が二本架かっています。下流の稲渕は神主を招き、上流の栢森は僧侶が読経する。同じ行事が、集落ごとに違うかたちのまま続いています。
飛鳥川をさかのぼっていくと、二か所で頭上に綱が架かっています。下流の稲渕(いなぶち)にあるのが男綱(おづな)、さらに上流の栢森(かやのもり)にあるのが女綱(めづな)です。
どちらも稲藁を撚り合わせた太い綱で、中ほどに藁の飾りが下がっています。男綱は男性を、女綱は女性をかたどったものです。
毎年掛け替えられます。一年のあいだ風雨にさらされた綱は色を落とし、ほどけていきます。そこへ新しい綱が架かる。同じものが長く残るのではなく、毎年作り直されることで続いてきた行事です。
綱は飾りではありません。外から入ってくるものを止めるための境です。
村へ通じる道と川に綱を架けることで、そこから先へは入れない、という意味を持たせています。悪い病が道と川を通って村へ入ってくるのを押しとどめるため、と伝えられます。あわせて子孫繁栄と五穀豊穣を祈ります。
こうした「道切り」の風習は明日香村だけのものではありません。集落の入口に縄を張る習わしは、近畿一帯に広く分布しています。勧請縄(かんじょうなわ)とも呼ばれ、滋賀や三重の村々にも同じ形が残っています。
境を目に見えるかたちで示しておく、という考え方です。塀でも門でもなく、一本の綱で足りる。そこに何が通っていて、何を止めたいと思ってきたのかが表れています。
この行事のいちばん面白いところは、同じ谷のなかで作法が分かれていることです。
下流の稲渕は神式です。飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の神主を招いて祈祷が行われます。
上流の栢森は仏式です。福石(ふくいし)と呼ばれる石の上に祭壇を設け、僧侶の読経のあとに綱が架けられます。
川を数キロさかのぼっただけで、神主が来るか、僧侶が来るかが変わる。同じ目的の同じ行事でありながら、どちらかに統一されることなく、それぞれの集落のやり方のまま残ってきました。
明治の神仏分離で、多くの土地では神事と仏事がはっきり切り分けられました。この谷では、その線引きが集落の単位で違ったまま今日まで来ている、ということになります。
綱は買ってくるものではありません。棚田から集めた稲藁を、その日に撚り合わせて作ります。
稲渕では神所橋(かんじょばし)のたもとが作業場です。三人がかりで藁を撚り、少しずつ長い綱にしていきます。できあがると勧請橋まで運ばれ、川の上に架けられます。
長いあいだ両岸の木に掛けてきましたが、稲渕では2023年から支柱も併せて使われるようになりました。木が弱り、掛けられる枝が減ってきたためです。続けるために、やり方のほうを少しずつ変えています。
材料は稲藁です。つまりこの行事は、その年に稲を作っていないと成り立ちません。
稲渕の棚田は、いまも人の手で維持されています。行事のために田があるのではなく、田があるから行事が続く。綱が毎年新しくなるということは、その年も稲が実ったということでもあります。
掛け替えの日は年明けです。稲渕は成人の日に行われます。この日に行くと、藁をなうところから綱が架かるまでを通して見られます。
日をはずして訪ねても、綱そのものは一年を通して架かっています。県道15号を稲渕から上流へ進むと、勧請橋のあたりで男綱が、さらに進んで栢森の集落の手前で女綱が、それぞれ頭上に見えます。どちらも車道から見上げられる位置です。
男綱から女綱までは車で数分、歩くと30分ほど。両方を続けて見ると、同じ行事が二つの集落で違うかたちを保ってきたことが、距離の感覚とともに分かります。
RELATED SPOT

おづな
飛鳥川の上に渡された稲藁の綱。毎年、成人の日に掛け替えられる。

めづな
飛鳥川の上流に渡された稲藁の綱。下流の男綱と対になっている。

あすかがわ
万葉集にも詠まれた、村を貫く川。
RELATED COLUMN