さかふねいし
円と溝が刻まれた謎の石。丘の上の竹林に横たわる。
丘の上の竹林に、平らな花崗岩が横たわっています。長さ約5.5メートル、幅約2.3メートル、厚さ約1メートル。1927年(昭和2年)に国の史跡に指定されました。
上面には、大小の円形の窪みと、それらをつなぐ細い溝が刻まれています。左右対称に近い、幾何学的な配置です。何かの装置であることは明らかですが、その何かが分かっていません。
いまの姿は完全ではありません。北側と南側の一部が欠けていて、近世にどこかへ運び出されたものとみられています。石の縁には、割り取るために使った工具の跡が残っています。
名前の「酒船」は、酒を造るための石とみた江戸時代以来の呼び方によります。
ほかに、油や薬草を絞る施設とする説、庭園に水を流して見せる装置とする説、祭祀に用いた道具とする説などが出されてきました。
窪みに液体を注ぐと溝を伝って流れ落ちる構造であることは確かですが、何を流したのかは分かりません。
手がかりのひとつが水です。この石から東へ40メートルほどの、やや高いところで、ここへ水を引くための土管と石樋(いしどい)が見つかっています。庭園の施設だったとする説は、これを根拠にしています。
長らく、この石は単独の謎の石造物として扱われてきました。それが変わったのが2000年です。
丘の北の裾で、亀形石造物・小判形石造物と、それらに水を導く湧水施設が発見されました。丘の上の酒船石と、丘の下の水の施設。これらを一体のものとして「酒船石遺跡」と呼ぶようになります。
あわせて、丘の斜面を砂岩の切石で段状に囲む石垣も見つかりました。丘そのものが人の手で造成されていたことになります。
『日本書紀』には、斉明天皇が石垣をめぐらせた丘の上に「両槻宮(ふたつきのみや)」を造ったという記事があります。工事のために多くの人夫が動員され、「狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)」と批判されたとも記されています。
酒船石遺跡がこの記事にあたるのではないか、という見方が有力になっています。丘を石で囲み、水を引き、その頂に施設を置く。斉明天皇が繰り返した大規模な土木工事の一環とみられます。
近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「万葉文化館西口」下車、徒歩約5分。竹林のなかの坂道を上がります。見学は無料です。
丘の下の亀形石造物は有料公開で、公開時間が決まっています。あわせて訪ねると、丘の上と下のつながりが分かります。
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