飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/飛鳥京跡苑池
あすかきょうあとえんち
日本庭園の最古の例とされる、宮に付属した庭園跡。
飛鳥宮跡の北西に接する、宮に付属して造られた庭園の跡です。出土品と石材の分析から、斉明天皇の後飛鳥岡本宮(656〜667年)の時期に造られ、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(672〜694年)まで、宮の庭として使われたことが分かっています。天武朝のころに改修を受けたとみられます。
2003年に国の史跡および名勝に指定されています。飛鳥で名勝の指定を受けているのは、ここだけです。
苑池は、中堤によって南池と北池に隔てられています。ただし完全に分かれているわけではなく、中堤に埋めた木樋でつながり、南池から北池へ水が流れる仕組みになっていました。
南池は五角形で、護岸は石を積んで築かれ、池の底にも石が敷かれていました。池のなかには中島が二つ。水を溜めるだけでなく、見せるための造りです。
石造物や中島のまわりには、流水や噴水のような施設が設けられていたと推定されています。北池の北東側では、湧水と導水の施設も見つかりました。飛鳥に点在する用途不明の石造物のいくつかが、こうした庭園の設備であった可能性を示しています。
宮殿に付属する庭園は、中国のほか朝鮮半島でも確認されています。飛鳥京跡苑池と朝鮮半島の苑池には一部に共通する点があり、造園の技術が渡来人によって伝えられたことがうかがえます。
一方で、意匠や構造には日本独自のものも含まれます。外から入った技術が、この地で作り変えられていったことになります。
そのため飛鳥京跡苑池は、のちの日本庭園につながる最古の事例と位置づけられています。
『日本書紀』の天武14(685)年11月条に、天武天皇が「白錦後苑(しらにしきのみその)」に出かけたという記事があります。
この苑池が、その白錦後苑にあたる可能性が高いとみられています。名前の分かっている日本最古の庭園が、この草地の下にあることになります。
2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産のひとつとして世界遺産に登録されました。
発掘調査が続いており、整備の途中です。いまは一面の草地で、池の跡をたどる手がかりは解説板の復元図くらいしかありません。飛鳥宮跡のすぐ北西にあたるので、あわせて歩けます。
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