飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/磐余道碑
いわれみちひ
「磐余道」と刻まれた標石。井上靖の揮毫による。
磐余(いわれ)は、いまの桜井市の南西部から橿原市の東部にかけての一帯を指した、古い地名です。
『日本書紀』が伝える神武天皇の名、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)にも、この地名が入っています。
五世紀から六世紀にかけて、ここには宮が繰り返し置かれました。履中天皇の磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)、清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)、継体天皇の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)、そして用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)。飛鳥に宮が集まるより前、この地は王権の中心のひとつでした。
用明天皇の宮の名にある「池辺」は、磐余池のほとりを意味します。
この池は、大津皇子が死を前に詠んだとされる歌で知られます。
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(万葉集 巻三・四一六)
謀反の疑いで捕らえられ、686年に命を絶たれました。池に鳴く鴨を見るのも今日限りか、という歌です。「ももづたふ」は磐余にかかる枕詞です。
池がどこにあったのかは長く分かりませんでしたが、2011年、桜井市吉備で大規模な堤の跡が見つかり、磐余池ではないかと考えられています。
この標石が立つのは、飛鳥から磐余へ向かう道筋にあたります。すぐ南には山田寺跡があります。
道そのものに遺構が残っているわけではありません。地名と、こうして建てられた標石が、道の記憶を伝えています。
「磐余道」の三文字は、小説家の井上靖によるものです。署名は、かな書きで「いわれみち」と刻んだ面の裏にあります。
井上靖は『天平の甍』『額田女王』など、古代を題材にした小説を多く残しました。
道端の側溝ぎわに立つ、膝から腰ほどの高さの標石です。漢字の「磐余道」と、かな書きの「いわれみち」が、それぞれ別の面に刻まれています。
所在地は明日香村ではなく桜井市です。近鉄桜井駅からバス「山田寺跡」下車、北へ徒歩2分ほど。
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