やまだみち
飛鳥を東西に貫いた古代の官道。隋の使者を迎え、山田寺へ通じた道。
明日香村の北部、石神遺跡や雷丘のあたりを東西に走る筋があります。いま県道が通っているこのあたりが、古代の山田道(やまだみち)の道筋にあたるとされています。
東は桜井市の磐余(いわれ)のほうから南下してきて、飛鳥を通り抜け、西は下ツ道との交点である軽の衢(かるのちまた/橿原市)へ。飛鳥を東西に貫く幹線でした。
平安時代の説話集『日本霊異記』には、雄略天皇の時代の話として「阿倍山田の前の道」が出てきます。阿倍(桜井市阿部)と山田(桜井市山田)を通ることから、阿倍山田道(あべやまだみち)とも呼ばれます。
推古16年(608年)、遣隋使の小野妹子とともに、隋の使者・裴世清(はいせいせい)が来日しました。難波から大和へ入り、小墾田宮(おはりだのみや)へ向かった一行が通ったのが、この道だと考えられています。
国の使いを迎えるために使う道でした。田のあいだの生活路ではなく、幅を取って側溝を備えた、整えられた官道だったことになります。
道の名は、桜井市山田の地名からきています。その山田に建てられたのが山田寺です。
641年、蘇我倉山田石川麻呂が発願した寺で、飛鳥からこの道を東へたどった先にありました。寺は道に面して置かれ、道は寺へ通じていた。飛鳥の寺と道は、たいていこの関係で結ばれています。
山田道は国の史跡には指定されていません。日本遺産「日本国創成のとき〜飛鳥を翔た女性たち〜」の構成文化財です。
遺構として整備された場所があるわけではなく、いま歩けるのは県道とその歩道です。けれども1400年前の官道の筋が、そのまま今の県道として使われ続けている。そう思って歩くと、何でもない直線が違って見えます。
近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「飛鳥」下車すぐ。石神遺跡と飛鳥水落遺跡のあいだを東西に抜ける道が、村内での道筋にあたります。
東へ行けば奥山から桜井市山田の山田寺跡へ、西へ行けば豊浦から橿原市の軽へ。どちらへ向かっても、道沿いに飛鳥時代の場所が並びます。
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