飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/煮えたぎる湯に手を入れる ― 盟神探湯という裁判
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嘘をついている者は火傷する。正しい者は無傷で済む。『日本書紀』が伝えるその裁きが行われたのは甘樫丘でした。神事はいまも甘樫坐神社に残っています。
『日本書紀』の允恭(いんぎょう)天皇の段に、こんな話があります。
当時、氏(うじ)と姓(かばね)の名乗りが乱れていました。身分の低い者が高い家柄を騙り、勝手に名を付け替える。誰がどの家の者なのかが、分からなくなっていたというのです。
天皇はこれを正そうとします。ただ、証文があるわけではありません。名乗りが正しいかどうかを、何をもって確かめるのか。
そこで用いられたのが、盟神探湯(くかたち)でした。
甘樫丘に探湯瓮(くかへ)――湯を沸かす釜を据えます。そこへ人々を集め、一人ずつ、煮えたぎる湯のなかに手を入れさせる。
正しいことを言っている者は無事に済み、偽っている者は手がただれる。そう考えられていました。
釜のなかに小石を沈めておき、それを拾わせる形だったとも伝わります。泥を煮立てた釜を使ったという説明もあります。いずれにしても、熱いものに手を触れさせて、その結果で判じる、という点は変わりません。
『書紀』は、これを行ったところ人々は畏れて名乗りを正し、偽る者がいなくなった、と書いています。
今の目で見れば、嘘をついていようがいまいが、熱湯に手を入れれば火傷します。
ただ、この裁きの前提は「人が判じる」ことではありません。神が判じる、という前提です。人には分からないことを、神に示してもらう。釜の湯は、その答えを受け取るための道具でした。
だとすれば、この方法の効き目は、火傷の有無そのものよりも前にあります。神が見ていると本気で信じている人の前で「では釜に手を入れてみよ」と言えば、偽っている者はその場で降りる。実際に手を入れる段階に至る前に、決着がついてしまう。
『書紀』が「畏れて名乗りを正した」と書いているのは、まさにそこを言っています。
熱したものに触れさせて真偽を判じるやり方は、日本だけのものではありません。
中世のヨーロッパには、熱した鉄を握らせる、熱湯から物を取り出させるといった裁きがありました。インドにも似た方法が伝わります。神明裁判(しんめいさいばん)と呼ばれ、証拠で決められないときに神の判断を仰ぐ、という発想は各地に独立して現れています。
証拠を集めて事実を確かめる、という考え方が制度として整うまでのあいだ、人はこうした方法で決着をつけてきました。
甘樫坐神社では、この盟神探湯が神事として続いています。毎年4月に行われます。
もちろん、いまは手を入れません。釜で湯を沸かし、笹の葉を浸して、その葉を振りかける形です。かつての裁きを、火傷の出ない形に置き換えて残しています。
境内には立石があり、探湯の釜を据えた石とも伝えられます。
この裁きの場所として『書紀』が挙げるのが甘樫丘です。
氏姓の名乗りを正すというのは、誰がどの家の者かを国として確定する作業です。それを丘の上で、人々を集めて行った。飛鳥を見渡せる場所で、見せながら行うことに意味があったのだと考えられます。
なお、ここでいう甘樫丘がいまの甘樫丘と同じ場所なのかについては、別の見方もあります。甘樫坐神社がその丘から離れて建っていることをどう考えるか、という問題です。
甘樫坐神社は豊浦の集落にあります。石段を上がった先の、静かな境内です。
4月の神事の日に行くと、釜に湯が沸くところから見られます。日をはずしても、立石と、丘を背にした社殿は変わらずそこにあります。
甘樫丘の展望台までは歩いて行ける距離です。千六百年前、ここに人が集められたのだと思いながら上ると、丘の見え方が少し変わります。