飛鳥の明日香の里を(明日香村)/散策スポット/牽牛子塚古墳
けんごしづかこふん
八角形墳。斉明天皇の陵とする説が有力視されている。
7世紀後半に造られた八角形墳です。向かい合う辺と辺の長さが約22メートル、高さ約4.5メートルで、3段に築かれています。土を突き固める版築で盛り上げ、外側を凝灰岩の切石でびっしりと覆っていました。
重要なのは、八角形という形です。この時期、八角形の墳丘は天皇の陵だけに用いられました。天智天皇陵、天武・持統天皇陵、中尾山古墳などがこの形をとっています。円でも方形でもない八角は、天下八方を治める者の墓という意味を込めたものと考えられています。
石室は、二上山から運ばれた巨大な凝灰岩をくり抜いた横口式石槨です。ひとつの石をくり抜いたうえで真ん中に間仕切りを残し、2つの墓室に分けてあります。
つまり、はじめから2人を葬るための造りです。あとから増設したのではなく、設計の段階で合葬が決まっていたことになります。
内部からは、布を漆で塗り固めた夾紵棺(きょうちょかん)の破片や、七宝で飾られた亀甲形の金具、人骨の一部などが見つかっています。夾紵棺は最上級の棺で、当時の日本ではごく限られた人物にしか用いられていません。
2010年(平成22年)の調査で、この古墳が八角形墳であることが確定しました。そしてこの時、墳丘の南東で小さな古墳が新たに見つかります。
越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)と名付けられたこの古墳の位置関係が、『日本書紀』の記述と符合しました。斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬した陵の前に、孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を葬った、という記述です。
合葬用の石室、天皇のみに許された八角形、そして記述どおりの位置に見つかった小古墳。三つがそろったことで、牽牛子塚古墳を斉明天皇の陵とする説が一気に有力になりました。
宮内庁が斉明天皇陵としているのは、ここではなく、高取町にある車木ケンノウ古墳です。そのため公式には被葬者は確定していません。
形・構造・出土品・立地のいずれもが有力説を支えているにもかかわらず、治定は動いていない。日本の古代史で、こうした食い違いは珍しくありません。
1923年(大正12年)に国の史跡に指定されました。長らく雑木に覆われ、墳丘の形もはっきりしない状態が続きます。
2010年の調査を受けて復元整備が進められ、2022年3月に完成しました。切石を積み上げた斜面は日を受けて明るく光り、飛鳥の緑の丘陵のなかで独特の存在感があります。造られた当時、この墓がどれほど目立つものだったかが実感できます。
近鉄飛鳥駅から徒歩約25分。丘の上にあるので、登りきると明日香の集落を見渡せます。すぐそばに越塚御門古墳の跡も整備されています。
夕方、西日が当たる時間帯は切石の白さがいっそう際立ちます。
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