飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/飛鳥を翔た女性たち ― 日本遺産が主役にすえた5人
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推古、皇極(斉明)、持統の3人の女帝と、額田王、そして善信尼。2015年に認定された日本遺産は、この5人の目で飛鳥を読み直そうとしています。
2015年(平成27年)4月24日、「日本国創成のとき〜飛鳥を翔(かけ)た女性たち〜」が日本遺産に認定されました。明日香村・橿原市・高取町にまたがる43件の文化財を、ひとつの物語として束ねたものです。
主役は5人の女性。推古・皇極(斉明)・持統の3人の女帝と、万葉歌人の額田王(ぬかたのおおきみ)、そして日本で最初に出家した善信尼(ぜんしんに)です。
世界遺産や国宝・重要文化財の指定は、ひとつひとつのものの価値を認めるしくみです。日本遺産はそうではありません。地域に点在する文化財を「ストーリー」でつなぎ、その語り口ごと認定します。
だから構成文化財には、指定を受けたものも、受けていないものも混じります。飛鳥では、特別史跡である高松塚古墳の壁画と、国の史跡ではない坂田寺跡が、同じ一覧に並んでいます。
この土地には、もうひとつ別の読み方も重なっています。世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」は19件の資産で「宮都」を語りました。日本遺産は43件で「女性たち」を語る。同じ場所を歩いても、どちらの目で見るかで拾うものが変わります。
592年、崇峻天皇が討たれたあとを受けて即位しました。この国で最初の女性の天皇です。宮は豊浦宮。飛鳥時代はここから始まったとされます。
仏教と在来の神まつりを両立させながら、国のかたちを整えていった時代でした。冠位十二階も憲法十七条も、この治世のうちに定められています。
642年に皇極天皇として即位し、乙巳の変で退いたのち、655年に斉明天皇として再び位に就きました。同じ人が二度即位することを重祚(ちょうそ)といいます。
この女帝は、とにかく土を動かしました。宮の造営、石垣、運河。『日本書紀』はその運河を「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と呼び、人びとがそしったと書いています。飛鳥の石造物のいくつかは、この時代の造営にさかのぼるとみられています。
即位の翌年に大和が旱魃に見舞われたときは、みずから飛鳥川の上流へ出て天を仰ぎ、雨を祈りました。
天武天皇の后で、夫の死後に政を引き継ぎ、690年に即位しました。
その事業が藤原京です。飛鳥の宮は代替わりのたびに移るのが常でしたが、ここで初めて、条坊を備えた本格的な都が造られました。大宝律令の編纂も、この流れの先にあります。
宮が動き続けた時代を終わらせ、都に人を住まわせる。飛鳥時代の締めくくりにあたる仕事でした。
『万葉集』に歌を残した女性です。天皇や宮廷に代わって場の心を詠む役目を担いました。
斉明天皇が九州へ向かう船出のとき、春と秋のどちらがよいかを判じるとき——公の場で詠まれた歌がいくつも残っています。記録とは違う形で、この時代の気分を今に伝えているのが額田王の歌です。
584年、11歳で出家しました。この国で最初の出家者です。司馬達等(しばたっと)の娘で、渡来系の家に生まれました。
588年には戒律を学ぶために百済へ渡っています。海を渡って学びに出た最初の記録とされ、遣隋使より前のことでした。
父が高市郡坂田原に建てた草堂が、坂田寺の始まりと伝わります。5人のなかで唯一、天皇でも宮廷の人でもない女性です。
構成文化財43件のうち、大半は明日香村にあります。豊浦宮跡、飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)、飛鳥稲淵宮殿跡、飛鳥水落遺跡、石神遺跡、飛鳥京跡苑池、飛鳥寺跡、坂田寺跡、川原寺跡、牽牛子塚古墳、吉備姫王墓、天武・持統天皇陵、高松塚古墳壁画、芋峠、飛鳥川。
橿原市には藤原宮跡、本薬師寺跡、大和三山。高取町には斉明天皇陵(越智崗上陵)と高取城跡の猿石があります。
一つひとつは、すでに知られた場所ばかりです。ただ「女帝の造営」「尼寺」「歌が詠まれた場」という線で引き直すと、並びが変わります。飛鳥を二度目に歩くときの道筋として、この43件は使えます。
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とゆらのみやあと
推古天皇が即位した、飛鳥時代のはじまりの宮の跡。

けんごしづかこふん
八角形墳。斉明天皇の陵とする説が有力視されている。

てんむ・じとうてんのうりょう
被葬者が記録から確かめられる、数少ない八角形の陵。
さかたでらあと
飛鳥大仏をつくった鞍作止利の一族の氏寺。飛鳥最古級の寺で、尼寺でもあった。

あすかきゅうせき
複数の宮が重なる、飛鳥の政治の中心地。

ふじわらきゅうせき
日本初の本格的な都城の中枢。四季の花畑でも知られる。
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