飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/飛鳥でつくられたガラス ― 飛鳥池工房と、国産化までの1000年

COLUMN

飛鳥でつくられたガラス ― 飛鳥池工房と、国産化までの1000年

公開日

ガラスは長いあいだ、海の向こうから運ばれてくるものでした。それが飛鳥時代の終わりに、明日香村の飛鳥池工房で原料から作られるようになります。日本で初めてのガラスの一次生産です。どこから来た技術で、何に使われたのか。出土品からたどります。

砲弾のような形の土の坩堝が5つと、取っ手のついた丸い蓋が4つ並んでいる
ガラスを溶かした坩堝(るつぼ)と蓋

舶来品だったガラス

日本にガラスが伝わったのは、紀元前3世紀ごろの弥生時代です。それから長いあいだ、ガラスは海外で作られたものを手に入れるか、輸入したガラスを溶かして玉などに作り直すものでした。原料の石や鉱物からガラスそのものを作る「一次生産」は、国内では行われていなかったのです。

百済から届いた鉛ガラス

7世紀の初めごろから、鉛を多く含むガラスがふたたび出回るようになります。成分を調べると、弥生時代の鉛ガラスとは違ってバリウムを含まず、原料の産地も異なります。鉛の同位体比という、産地ごとに違う値を分析した結果から、作られたのは朝鮮半島の百済とみられています。

百済の都があった益山(イクサン)の王宮里(ワングンリ)遺跡では、ガラスの原料や、坩堝・蓋・鋳型といった道具、破片や製品がまとまって見つかっています。成分も同じころ日本で使われていたガラスとほぼ一致し、供給元のひとつと考えられています。

このころの小玉は、溶けたガラスを芯に巻きつけて作る技法が中心です。6世紀後半まで主流だった、管状に引き伸ばしたガラスを切り分ける技法から切り替わっています。ガラスと同じ原料を使う緑色の釉薬(緑釉)をかけた焼き物も、この時期に増えていきます。

石神遺跡に残る、早い工房の跡

緑の布の上に石英、ガラス小玉の鋳型、水晶、琥珀の玉、べっ甲の破片が並び、右の黒い台に陶器の破片が2つある
石神遺跡の出土品。石英・水晶・琥珀・べっ甲と、ガラス小玉の鋳型(右上)

飛鳥寺の北西にある石神遺跡は、外国の使節をもてなした施設の跡と考えられています。ここの7世紀前半に土地をならした層から、ガラス小玉の鋳型や、石英・長石・水晶・琥珀・べっ甲が出ています。飛鳥池より前に、近くで玉づくりの工房が動いていたようです。

同じ遺跡からは、中国産の緑釉陶器も2点見つかっています。金属やガラスの器をまねた焼き物とみられ、当時ガラスの器がどう行き来していたかを考える手がかりになっています。

百済の滅亡と、亡命した技術者

660年、百済は新羅と唐の連合軍に滅ぼされます。その前後に、王族をはじめ多くの人々が倭(日本)へ逃れてきました。王族の子孫はのちに「百済王(くだらのこにきし)」氏として朝廷に仕え、技術者たちも各地で腕をふるいます。ガラスづくりの技も、こうした人々とともに飛鳥へ入ってきたと考えられています。

飛鳥池工房 ― 日本で最初のガラスの一次生産

飛鳥寺のすぐ南東、いまの奈良県立万葉文化館の場所で見つかったのが飛鳥池遺跡です。1991年、江戸時代のため池だった飛鳥池を埋め立てる前の発掘で確認され、7世紀後半から8世紀の工房の跡と分かりました。いまは国の史跡「飛鳥池工房遺跡」になっています。

工房は遺跡の南側に集まり、金・銀・銅・鉄、ガラス、水晶、琥珀、べっ甲、木器、漆製品、鉛釉の陶器まで、さまざまなものを作っていました。そのひとつがガラスで、原料から鉛ガラスを作る、国内で初めての一次生産が行われていました。

緑の布の上に、土の鋳型の塊、穴がたくさんあいたガラス小玉の鋳型、小さな型押しのガラス、石英・長石・方鉛鉱・紫水晶・水晶が並んでいる
土の鋳型やガラス小玉の鋳型、型押しのガラス、原料になる石英・長石・方鉛鉱など

出土した鉱物は、石英・長石と、鉛の鉱石である方鉛鉱です。この組み合わせから、作っていたのは鉛ガラスだと分かります。鉛の鉱石は、山口県の長登(ながのぼり)銅山で掘られたものでした。長登では7世紀前半に開発が始まったとみられています。石英や長石、色をつける材料の産地は、まだ分かっていません。

砲弾のような形の坩堝や蓋は、百済の王宮里遺跡の道具とよく似ています。ただし、作り方は日本在来の技術によるものでした。百済から来た技術者と国内の職人が、同じ工房で働いていた姿が浮かびます。

小玉や、紐を通す穴のない丸玉は、鋳型にガラスを流し込んで作っています。変わったものに「型抜きガラス」があります。楕円形で中央が盛り上がった小さなガラスで、小玉を型に押しつけて作ったとみられています。

紀元前3世紀にガラスが伝わってから、約1000年。原料からガラスを作れるようになったのは、この飛鳥池でのことでした。

牽牛子塚古墳の七宝

黒い台の上に、六角形の金具が4つ(下段)と、緑と茶色で彩った復元品が3つ(中段)、上にガラス小玉の連と花形の金具が並ぶ
牽牛子塚古墳の七宝製亀甲形飾金具(下段)と、その復元品(中段)

2026年に世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産となった牽牛子塚古墳からも、ガラスを使った品が出ています。棺に取りつけた金具のひとつ、「七宝製亀甲形飾金具(しっぽうせいきっこうがたかざりかなぐ)」です。

亀の甲羅のような六角形の金属の台に花形の仕切りを設け、その内と外をガラスで彩っています。日本で最も古い七宝製品で、国の重要文化財です。分析の結果、このガラスには朝鮮半島産の鉛が使われていたことが分かっています。

飛鳥池で国産の鉛ガラスが作られ始めたのとほぼ同じころ、天皇の陵とみられる古墳の棺には、朝鮮半島の鉛を使ったガラスが飾られていたことになります。

その後のガラス

その後、藤原京や平城京を中心に、各地でガラス製品が作られるようになります。海外からのガラスがとだえたわけではなく、奈良時代には国産品と輸入品、古墳時代から伝わった品がともに使われていました。正倉院の宝物には、そうしたガラスがいまも残っています。

緑釉の技術も、のちの奈良三彩や平安時代の緑釉陶器へとつながっていきます。

見る・訪ねる

飛鳥池工房遺跡の上には奈良県立万葉文化館が建ち、館内と屋外で遺構の一部を見ることができます。石神遺跡と牽牛子塚古墳も村内にあり、あわせて歩けます。

「奈良県立万葉文化館 入口」と書かれた案内塔。奥に竹林と受付の小屋SPOT奈良県立万葉文化館ならけんりつまんようぶんかかん『万葉集』を軸にした古代文化の総合拠点。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「万葉文化館西口」下車すぐスポットのページを見る →

この記事に出てくる場所

RELATED SPOT

あわせて読みたい

RELATED COLUMN

← コラム一覧へ戻る