飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/万葉集のきほん ― 相聞・挽歌・雑歌、反歌と答ふる歌
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飛鳥を歩くと、あちこちで万葉集の歌に出会います。歌を読む前に知っておくと楽しくなる、歌の分け方と形、反歌や贈答の歌の違いをまとめました。
『万葉集』は、現存する日本最古の歌集です。全20巻に、およそ4,500首の歌が収められています。
いちばん新しい歌は、759年の正月に大伴家持が詠んだ歌です。最終的に歌集をまとめたのは、その家持だとする説が有力です。ただ、一人が一度に編んだのではなく、いくつかの歌集が段階的にまとめられてできたと考えられています。
作者は天皇や皇族、貴族から、名もない農民、九州の守りに向かう兵士までさまざまです。飛鳥に都があった7世紀の歌も多く、飛鳥は万葉集の舞台そのものでした。
万葉集の歌は、内容によって大きく三つに分けられています。これを「部立(ぶだて)」といいます。
雑歌(ぞうか)は、宮廷の儀式や行幸、宴、旅などで詠まれた、おおやけの場の歌です。「雑」とあっても、その他という意味ではありません。巻一は雑歌から始まり、天皇が天の香具山に登って国土を見渡す舒明天皇の国見の歌(巻一の二番)も、ここに入っています。
相聞(そうもん)は、互いに思いを伝え合う歌です。恋の歌が中心ですが、親子や兄弟、友人のあいだで交わされた歌も含まれます。「相い聞こえる」、つまり便りを交わすという意味です。
挽歌(ばんか)は、人の死を悼む歌です。もとは棺を載せた車を挽く人が歌った歌を指す言葉でした。天皇や皇子の死に際して詠まれた歌、旅先で亡くなった人を悼む歌などがあります。
このほか、物にたとえて思いを詠む「譬喩歌(ひゆか)」、東国の人々の歌を集めた「東歌(あずまうた)」、九州の守りに送られた兵士とその家族の「防人歌(さきもりうた)」など、まとまりごとに名前のついた歌もあります。
歌の形(歌体)にも種類があります。
短歌は、五・七・五・七・七の三十一音。いまの短歌と同じ形で、万葉集の歌の9割以上を占めます。
長歌(ちょうか)は、五・七を何度もくり返し、最後を七・七で結ぶ長い歌です。260首ほどあり、柿本人麻呂の長歌はとくに名高く、皇子の死を悼む挽歌や、天皇をたたえる歌などで力を発揮しました。
旋頭歌(せどうか)は、五・七・七・五・七・七の六句の歌です。前半と後半で問いと答えのようになるものがあり、もとは二人で掛け合って歌った形ともいわれます。
長歌のあとには、短い歌が添えられることがよくあります。これを反歌(はんか)といいます。
反歌は、長歌の内容をまとめ直したり、言い足りなかった思いを補ったりする歌で、作者は長歌と同じ人です。山上憶良が子どもへの思いを詠んだ長歌に添えた「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」も、反歌の一つです。
「反」という字から、相手への返事と思われがちですが、反歌は自分の長歌をくり返し味わう歌で、だれかに答える歌ではありません。
だれかから贈られた歌に、歌で応えることもありました。後の時代には「返歌」と呼ばれますが、万葉集では題に「答ふる歌」「和(こた)ふる歌」と書かれます。贈る歌と答える歌が並んだものを、贈答歌(ぞうとうか)といいます。
よく知られているのが、蒲生野の狩で額田王と大海人皇子が交わした二首です。額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」に、大海人皇子が「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」と答えています。題には「皇太子の答へましし御歌」とあります。
恋の贈答なら相聞に入りそうですが、この二首は雑歌に入っています。宴の席で詠まれた座興だったのではないかとする見方は、この分け方が手がかりの一つになっています。
万葉集では、歌の前に「だれが、いつ、どんな場で詠んだか」を記した題がついています。これを題詞(だいし)といいます。歌のあとに、伝えや別の説を書き添えたものは左注(さちゅう)と呼ばれます。縦書きで歌の左側に書かれるからです。
天武天皇が雷丘に出かけたときの歌、持統天皇が香具山を詠んだ歌――。歌がいつどこで詠まれたのかが分かるのは、題詞と左注のおかげです。ただ、その記述どおりに受け取ってよいか、研究者のあいだで議論になることも少なくありません。
万葉集がまとめられたころ、まだひらがなもカタカナもありませんでした。歌はすべて漢字で書かれています。漢字の意味を借りたり、音だけを借りたりして日本語を書き表す方法で、この書き方の漢字を「万葉仮名」といいます。
たとえば持統天皇の「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山」は、原文では「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」と書かれています。読み方が一つに決まらない歌もあり、いまも新しい読み方が提案されています。
藤原京へ都が移ったあと、志貴皇子(しきのみこ)は、さびれた飛鳥をこう詠みました。
采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
采女(うねめ)の袖をひるがえしていた明日香の風も、都が遠くなったいまは、むなしく吹いている――。飛鳥川や雷丘、甘樫丘など、村のあちこちに万葉集に詠まれた場所があります。奈良県立万葉文化館では、万葉集を題材にした日本画や、当時の暮らしの展示を見られます。歌の分け方と形を頭の片隅に置いて歩くと、説明板の歌が少し読みやすくなるはずです。
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ならけんりつまんようぶんかかん
『万葉集』を軸にした古代文化の総合拠点。

いかづちのおか
雷を捕らえた話が残る小さな丘。東側は小墾田宮の推定地。

あすかがわ
万葉集にも詠まれた、村を貫く川。

あまかしのおか
飛鳥を一望する丘。蘇我氏の邸宅があったと伝わる。
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