飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/白妙の衣は、何を告げたのか ― 持統天皇と天の香具山の歌
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「春過ぎて夏来るらし」で始まる、持統天皇の香具山の歌。初夏の景色を詠んだ一首として親しまれていますが、そこに持統天皇自身の野心が出ているという読み方もあります。
『万葉集』巻一の二十八番に、持統天皇の歌として次の一首が載っています。
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山
春が過ぎて、夏が来たらしい。真っ白な衣が干してある、天の香具山に――。緑の山に白い衣が映える、初夏の景色の歌として知られています。
百人一首では「夏来にけらし」「衣ほすてふ」の形で覚えている人が多いかもしれません。「てふ」は「という」の意味で、衣を干すと聞いている、という伝え聞きの言い方です。
これは『新古今和歌集』に採られるときに形が変わったもので、『万葉集』の形は「干したり」。いま目の前で衣が干されているのを見ている歌です。
香具山は大和三山の一つです。持統天皇が営んだ藤原京からは、南東の方角に見えます。
ほかの二山と違って「天の」と冠されるのは、天から降ってきた山だという言い伝えがあるからです。『伊予国風土記』の逸文には、天から降りた山が二つに分かれ、片方が大和の香具山に、もう片方が伊予に降りたという話が残っています。
『万葉集』巻一の二番、舒明天皇の歌にも、天の香具山に登り立って国見をする場面が詠まれています。天皇が高い所から国土を見渡し、豊かさをたたえる。香具山は、そうした儀礼の舞台にもなった山でした。
古代の人々にとって、季節が滞りなく移り変わることは、国がよく治まっている証でもありました。
そのため持統天皇の歌も、ただ初夏をめでた歌ではなく、国を治め、祭祀をつかさどる天皇が、神聖な山に季節の到来を見届けた歌だとする解説があります。
さらに踏み込んで、この歌に持統天皇自身の野心を読み取る見方もあります。
持統天皇は、夫の天武天皇が亡くなったあと、わが子の草壁皇子を位につけようとしました。しかし草壁は即位しないまま689年に亡くなります。持統は翌年みずから即位し、697年、孫の軽皇子(文武天皇)に位を譲りました。自分の血筋に皇位をつなぐことに、生涯をかけた人でした。
この歌を、その生涯と重ねて読むのです。天とつながる「天の」香具山に、真っ白な衣が干されている。それは季節の衣替えであると同時に、神事でまとう清らかな衣とも読めます。新しい都から天の山を見渡して「春が過ぎて、夏が来た」と告げる――それは、自分と自分の血筋の時代が来たという宣言でもあった、という読み方です。
持統天皇を皇祖神の天照大神に重ねる議論もあります。天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に降ろした神話と、持統が孫の文武に位を渡した経緯が似ていることから、神話そのものが持統の時代に整えられたのではないか、という見方です。歴史作家の関裕二氏なども、天照大神と持統天皇の関係を論じています。
ただし、これらは歌の言葉そのものから言えることではなく、持統天皇の生涯を重ねたうえでの解釈です。
歌の読み方そのものにも、新しい説が出ています。2007年には鉄野昌弘氏が、この歌は「香具山が衣を干している」と、山を主語にして読んでよいという論を出しました。人が干した衣を眺める歌なのか、山そのものが夏の装いをしている歌なのか。わずか三十一文字の読み方が、いまも定まっていません。
藤原宮跡に立つと、南東に香具山が見えます。初夏に訪れて、持統天皇が見たかもしれない景色と重ねてみてください。
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