飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/宮の東の山の石垣 ― 酒船石遺跡、700メートルの砂岩の壁
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1992年、遊歩道の工事で、酒船石の丘から砂岩の石垣が出てきました。丘をぐるりと囲む石垣は、守るための城壁だったのか、それとも見せるための壁だったのか。
1992年、明日香村は酒船石から飛鳥民俗資料館へ向かう散策路を計画しました。工事の立会いで、酒船石から北西へわずか50メートルほどのところから、石英閃緑岩の切石と、黄色い砂岩のブロックが大量に出てきます。工事を止めて掘り進めると、石の列はさらに続いていました。酒船石遺跡の発見です。
それまで酒船石は、丘の上の竹林にひとつだけ置かれた謎の石でした。この発見で、石は人の手で造られた丘の一部だったことが分かります。村は翌1993年から調査委員会を設け、国の補助を受けた範囲の確認調査を始めました。調査は10年あまりで25次を数えています。
発掘から復元される工事の順序は、こうです。
まず丘の頂を平らに削り、低いところには土を突き固めて盛る(版築)。斜面をテラス状に切り、そこに80〜100センチの飛鳥石(石英閃緑岩)を基礎として一列に並べる。その上に、30×20×15センチほどの煉瓦のような砂岩の切石を積み上げる。砂岩は天理市豊田山の近くで採れるもので、下の段は前面を、最上段は前面と上面をきれいに磨き、上の段の石は斜めにカットしてありました。
いま残っているのは、よいところで4段まで。裏込めの土から、もとは7〜8段、1メートル以上の高さがあったと推定されています。裏込めには砂岩の削りくずが層になって残っていて、石はこの場で最後の仕上げをしてから積まれたことも分かりました。
その後の調査で、石垣は丘の中腹を巡るように延び、総延長は700メートル以上と分かりました。尾根の東端近くでは、基礎の石が等高線に沿って並んだあと直角に曲がり、階段状に尾根の上へ上っていきます。西の斜面では、さらに低い位置に石の列が3列見つかりました。丘の西側、宮のある側は、砂岩の石垣を含めて四重に囲まれていたことになります。
『日本書紀』は656年の記事で、斉明天皇が「宮の東の山に石を累ねて垣とす」と書いています。飛鳥宮跡の東の丘であること、天理の石を使っていること。発掘はこの記事にぴったり当てはまるものを掘り当てました。
丘の中腹を石垣で囲む遺跡と聞いて思い浮かぶのは、古代の山城です。663年の白村江の敗戦のあと、九州から瀬戸内にかけて朝鮮式山城が築かれました。酒船石遺跡も、宮の東の山を囲む城の一部とみる説があります。さらに広く、宮の東から多武峰までを大きく囲む城を想定する研究もあります。
しかし、発掘の担当者はこれに否定的です。石垣は砂岩の切石を垂直に積んだ低い壁で、表面まで磨いてある。石垣の前にはわずかな平地があるだけで、柱の跡も見つかっていません。守りを固めるより、宮の側から見上げたときにどう映るかを重んじた造りだ、というのです。立地や造り方は山城と似ていても、性格は別のものと考えられています。
一方、丘のさらに東の尾根では、1辺1.5メートルの柱穴を持つ掘立柱の塀が、尾根の稜線に沿って並んでいるのが見つかりました。同じような塀は近くの八釣マキト遺跡でも出ていて、飛鳥を取り巻く守りの施設だった可能性も指摘されていますが、時期も性格もまだ分かっていません。
『日本書紀』は、当時の人が「石の山丘を作る。作る随に自づから破れなむ」とそしったと書きます。作ったそばから崩れるだろう、という悪口です。
石垣は実際に崩れました。倒れた石垣の土から7世紀後半の土器が出ていて、684年10月の白鳳南海地震で倒れたとみられています。『日本書紀』が「山崩れ河涌く」と記した大地震です。その後、西の斜面の一部を直したほかは、積み直された跡がなく、崩れた砂岩はのちに抜き取られて、ほかの場所で使われました。悪口は、結果として当たってしまったことになります。
2000年には、丘の北の谷から亀形石造物を含む水の施設が見つかりました。丘の上の石垣と、谷の底の水の施設。いまはこれらをまとめて酒船石遺跡と呼び、2004年に史跡の名前も「酒船石」から「酒船石遺跡」に改められています。谷の施設は高い尾根と石垣に囲まれた閉ざされた空間で、天皇が限られた人だけで祭祀を行った場とみる考えが有力です。
谷の施設の東側には8段の石段があり、その先は石敷のテラスから向きを変えて、さらに尾根の上へ上っていきます。谷で水の祭りをし、石段を上って丘の上の酒船石へ向かう。丘の上と下は、一続きの祭祀の場として造られていた可能性があります。2004年5月には、約3万1千平方メートルの範囲が史跡として答申されました。
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さかふねいし
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かめがたせきぞうぶつ
水を導く仕掛けをもつ、斉明朝の祭祀の場。

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ならけんりつまんようぶんかかん
『万葉集』を軸にした古代文化の総合拠点。
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