飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/狂心渠 ― 二百隻の舟で、天理の石を飛鳥へ
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斉明天皇は運河を掘らせ、天理の山の石を舟で飛鳥まで運びました。人々はそれを「たぶれごころのみぞ」、正気を失った者の溝とそしりました。その溝が、発掘で少しずつ姿を見せています。
656年、両槻宮を建てた記事のすぐあとに、『日本書紀』は工事の様子を続けます。
「時に興事を好む」。天皇は工事を好み、水工(みずたくみ)に溝を掘らせた。香山(天香具山)の西から石上山まで。舟二百隻に石上山の石を積み、流れに沿って引いてきて、宮の東の山に石を重ねて垣とした。
続けて、当時の人の言葉が引かれます。「狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)。功夫(ひとちから)を損し費すこと、三万余。垣造る功夫を費し損すこと、七万余。宮材爛れ、山椒(やまのすえ)埋れたり」。溝に三万人余り、石垣に七万人余りが費やされ、宮の材木は腐り、山の頂は埋まった、というのです。さらに「石の山丘を作る。作る随に自づから破れなむ」、作ったそばから崩れるだろう、とも。
「功夫」は、のべの人数とみるのが一般的です。三万人と七万人が同時に働いたのではなく、一人が一日働いて一人と数えた合計でしょう。それでも十万人分の労働を、溝と石垣だけに注いだことになります。この時代、こうした労役は税の一つとして民に課されていました。
記事は最後に、「若しは未だ成らざる時に拠りて、此の謗を作せるか」と添えています。まだ出来上がっていない時だったから、こんな悪口を言ったのだろうか。この一文は、記録を整えた編者の注釈とみる研究者もいます。
石上山(いそのかみやま)は、いまの天理市、石上神宮のあたりの山とみられます。
1992年、飛鳥宮跡の東の丘で見つかった石垣には、天理市豊田山の近くで採れる砂岩が使われていました。凝灰岩質の細かい砂岩で、30×20×15センチほどの煉瓦のような形に切りそろえてあります。飛鳥の地元の石ではありません。『日本書紀』の「石上山の石」が、実物として出てきたことになります。
天理から飛鳥までは、直線でも十数キロメートルあります。重い石を陸路で運ぶより、水路で舟を引くほうが楽だった、と考えると、溝を掘った理由も見えてきます。この砂岩の切石は、のちに飛鳥宮跡や飛鳥池工房遺跡でも転用されていて、飛鳥池では富本銭の鋳型に使われたものまであります。
では溝はどこを通っていたのか。明日香村の発掘で、手がかりが出ています。
飛鳥寺の東、飛鳥坐神社との間にあたる飛鳥東垣内(ひがしがいと)遺跡では、石で護岸した幅約10メートルの運河が見つかりました。掘られたのは7世紀中頃で、2度の改修で少しずつ幅を狭めながら、奈良時代まで使われています。上流は酒船石の丘の東の谷へ、下流は北へ向かい、奥山久米寺の西あたりまで追えるとされます。その先は中の川をへて、天香具山の西を通る米川につながったと考えられています。時期も道筋も、斉明紀の記事と合います。
この運河は、1998年度の調査で飛鳥東垣内遺跡から見つかり、その後、酒船石遺跡の東の谷でも上流の部分が確かめられました。運河のすぐ西の丘には石垣が巡り、東の尾根には石垣がない。石垣と運河が並んでいたことになります。
天理から飛鳥まで一本の運河を新しく掘ったというより、もとからある川をつなぎ、足りないところを掘り足したとみる研究者もいます。全体の道筋は、まだ確かめられていません。
この工事への不満は、2年後の658年に別の形で記録されます。
天皇が紀伊の温泉へ出かけた留守に、留守役の蘇我赤兄(あかえ)が有馬皇子に、天皇の政治には三つの失(あやまち)があると語りかけました。大きな倉を建てて民の財を集めたこと、長い溝を掘って食料を浪費したこと、舟に石を積んで丘を築いたこと。皇子はこの話に乗り、まもなく捕らえられて命を落とします。
運河と石垣の工事は、謀反をそそのかす材料になるほど、知られた不満だったことになります。
中国にも、運河をめぐる有名な話があります。『史記』によれば、戦国時代、韓は秦の国力を工事で疲れさせようと、水工の鄭国(ていこく)を秦へ送り込み、大運河を掘らせました。たくらみは途中で露見しますが、完成した鄭国渠は畑をうるおし、かえって秦を豊かにしました。
『日本書紀』の文章は、中国の史書の言い回しをよく取り入れています。狂心渠の記事にも、そうした書き方の影響を探る研究があります。工事の最中には非難され、完成後には評価が変わることもある。狂心渠に対する悪口も、工事中の一時の声だった可能性はあります。
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