飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/聖徳太子は蘇我馬子だったのか ― 「太子=馬子」説を読む
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聖徳太子の事績には、ほとんどいつも蘇我馬子の名が並びます。本当に国を動かしていたのは馬子で、太子の姿は馬子の事績を移したものではないか――。そんな説の根拠と、それに対する反論を紹介します。
冠位十二階、憲法十七条、遣隋使、仏教の興隆。教科書では聖徳太子の業績として並ぶ事柄ですが、『日本書紀』を読むと、その多くに蘇我馬子が一緒に登場します。620年の「天皇記」「国記」も、皇太子と嶋大臣(馬子)がともに議って記したとされています。
推古天皇の時代、政の中心にいたのは天皇・馬子・太子の三人でした。そのうち、太子の業績とされるものは本当に太子のものだったのか。むしろ実権を握っていた馬子のものではなかったのか。そう問いかけるのが、「聖徳太子=蘇我馬子」説です。
この説では、推古朝で実際に王として振る舞っていたのは馬子だったと考えます。720年に完成した『日本書紀』は、天皇家の系譜を正統として描く歴史書です。蘇我氏が王に等しい力を持っていたことをそのまま書くわけにはいかず、馬子の業績を天皇家の皇子である厩戸に移し、理想の皇太子「聖徳太子」として描いた――という筋立てです。
さらに踏み込んで、聖徳太子という人物そのものが、馬子の姿を分けて作られたものだとする見方もあります。主に在野の研究者や作家が唱えてきた説で、学界では少数説です。
中国の歴史書『隋書』倭国伝は、600年に倭から使いが来たと記します。そこで倭王は「姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)」と名乗り、王には妻がいて、太子がいる、と書かれています。
ところが『日本書紀』によれば、このとき位にあったのは女帝の推古天皇です。妻のいる男の王とは誰なのか。太子だとする説、推古天皇の代わりに外交の場で男王を名乗ったとする説などに並んで、実際の王だった馬子のことだとする説があります。608年に来日した隋の使者・裴世清(はいせいせい)は倭王に会って言葉を交わしたと記録されており、その相手が誰だったのかも議論の的です。
太子の父・用明天皇の母も、母・間人皇女の母も、蘇我稲目の娘です。太子は蘇我の血を濃く引く皇子で、馬子から見れば甥であり、娘の刀自古郎女(とじこのいらつめ)を妃に迎えた婿でもありました。二人の利害はほとんど重なっていたと言えます。
馬子の墓とされる石舞台古墳は、一辺約50メートルの方墳で、日本最大級の石室を持ちます。同じ時代の天皇陵と比べても見劣りしません。馬子が建てた飛鳥寺は日本で最初の本格的な寺院で、国の中心に据えられた寺でした。墓と寺の大きさが、馬子の力が王に並ぶものだったことを物語る、というわけです。
この説の下地になっているのが、太子の姿は日本書紀の編纂のころに作られたとする研究です。1999年に大山誠一が『〈聖徳太子〉の誕生』で唱えた説がよく知られています。厩戸王という皇族は実在したが、憲法十七条や「聖徳太子」の聖人としての姿は、のちの時代に作り上げられたものだ、とするものです。
法隆寺に残る太子ゆかりの銘文や遺品についても、太子の時代のものではなく後世に作られたのではないか、という指摘があります。太子の事績が確かでなくなれば、その空白に馬子を置く説が成り立つ余地が生まれます。
一方で、反論も多くあります。まず、『日本書紀』は太子と馬子をはっきり別の人物として描いています。太子は622年に斑鳩で、馬子は626年に亡くなり、子もそれぞれ別です。太子の子の山背大兄王が643年に蘇我入鹿に攻められて滅んだことは、蘇我氏と太子の家系が別の家だったことを示しています。
法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘は、太子と妃の死と、像が623年に完成したことを刻みます。これを太子の時代の銘文と見る研究者は多く、少なくとも厩戸皇子という人物が斑鳩で生き、亡くなったことは確かだと考えられています。
『隋書』の「男の王」についても、隋の側が女王の存在を想定せずに書いた、あるいは倭の側が外交のために男王を立てて見せた、などの解釈があり、馬子と決める根拠にはなりません。
いま多くの研究者が共有しているのは、厩戸皇子は実在し、推古朝の政に関わったが、どこまでが本人の働きで、どこからが馬子や推古天皇、のちの時代の脚色なのかは分からない、という見方です。「太子=馬子」説は、その分からなさを最も大胆に埋めようとする説だと言えるでしょう。
確かめようのない部分が大きいからこそ、聖徳太子は今も繰り返し語り直されています。
馬子の墓とされる石舞台古墳、馬子が建てた飛鳥寺、推古天皇が即位した豊浦宮跡。いずれも明日香村の中にあり、自転車なら半日でめぐれます。太子が生まれたと伝わる橘寺は、石舞台と飛鳥寺のあいだにあります。三人が同じ時代、同じ土地にいたことを、距離の近さで感じられるはずです。
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