飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/何のために造られたのか ― 飛鳥の謎の巨石をめぐる
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800トンの巨石に穿たれた二つの穴、円と溝が刻まれた石、顔を持つ亀、表と裏に顔のある石像。飛鳥には、何のために造られたのか分からない石が、田や丘のあちこちに置かれたままになっています。謎の石をめぐり、解けたもの、解けかけたもの、まだ何も分からないものに分けて紹介します。
明日香村とそのまわりには、用途の分からない石造物がいくつも残っています。亀石、酒船石、猿石、二面石、益田岩船。どれも硬い花崗岩を削り出した、手間のかかった造りです。それなのに、いつ、誰が、何のために造ったのかが分からない。
これだけの石がまとまって残っているのは、この地が長く都であったこと、そして中世以降に大きく開発されなかったことの両方によると考えられています。答えの出ない石が、そのまま田や丘に置かれ続けてきました。
明日香村の西、橿原市の丘の竹林の奥に、飛鳥の石造物で最大級の巨石が横たわっています。東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル。重さは800トンほどと見積もられています。
平らに削られた上面には、一辺約1.6メートル、深さ約1.3メートルの四角い穴が二つ並びます。側面には格子状の溝が刻まれ、削り出す途中で手が止まったことが見てとれます。
有力なのは、古墳の石槨(せきかく)を造ろうとして途中でやめたという説です。二つの穴を二つの墓室とみると、牽牛子塚古墳の石槨とよく似た構造になり、石に亀裂が入って放棄されたのではないかと考えられています。ほかに、天体観測の台、物見台、火葬骨を納める墓とする説もあり、決め手はありません。
SPOT益田岩船ますだのいわふね竹林の奥に横たわる巨石。何のために造られたのか分かっていない。アクセス:近鉄岡寺駅から徒歩約20分スポットのページを見る →
丘の上の竹林にある酒船石は、長さ約5.5メートルの平らな石の上面に、円い窪みと細い溝が左右対称に近い形で刻まれています。液体を注げば溝を伝って流れる構造ですが、何を流したのかは分かりません。酒を造る、油や薬草を絞る、庭園に水を流して見せる、祭祀に使う。説はいくつも出されてきました。
長く単独の謎の石だったこの石の見え方を変えたのが、2000年の発見です。丘の北の裾から、湧水を受けて小判形、亀形の石の槽へと水を流す施設が見つかりました。丘の斜面も石垣で囲まれていたことが分かり、いまでは丘の上下をあわせて「酒船石遺跡」と呼ばれています。
『日本書紀』は、斉明天皇が石垣をめぐらせた丘の上に両槻宮(ふたつきのみや)を造り、その工事が「狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)」と批判されたと記します。酒船石遺跡はこの記事にあたるという見方が有力になりました。石そのものの用途はまだ決まっていませんが、どんな場所に置かれていたのかは見えてきています。
SPOT酒船石さかふねいし円と溝が刻まれた謎の石。丘の上の竹林に横たわる。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「万葉文化館西口」下車徒歩約5分スポットのページを見る →
SPOT亀形石造物かめがたせきぞうぶつ水を導く仕掛けをもつ、斉明朝の祭祀の場。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「万葉文化館西口」下車徒歩約3分スポットのページを見る →
謎が文献と結びついた例もあります。明治時代、飛鳥寺の西北の石神遺跡の田から掘り出された須弥山石(しゅみせんせき)と石人像(せきじんぞう)です。どちらも内部がくり抜かれ、水を噴き上げる仕掛けを備えていました。
『日本書紀』には、斉明天皇が須弥山をかたどったものを造り、蝦夷や外国からの使者をもてなしたという記事が何度か出てきます。石神遺跡は饗宴の施設だったと考えられ、石は客をもてなす噴水だったことになります。実物は飛鳥資料館に展示され、庭には複製も置かれています。
SPOT石神遺跡いしがみいせき須弥山石が出土した、斉明天皇の饗宴の場。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「飛鳥」下車すぐスポットのページを見る →
SPOT奈良文化財研究所 飛鳥資料館ならぶんかざいけんきゅうじょ あすかしりょうかん飛鳥の出土品と山田寺東回廊を展示する、奈文研の博物館。アクセス:近鉄橿原神宮前駅・桜井駅からバス「飛鳥資料館」下車すぐスポットのページを見る →
用途が分かっているのに、謎めいた名で呼ばれる石もあります。丘の斜面の上の平らな「鬼の俎(まないた)」と、下の道端に転がる「鬼の雪隠(せっちん)」。もとは一つの古墳の石室で、俎が底石、雪隠が蓋石です。盛土が失われ、蓋が斜面を転げ落ちて、内側を外に向けて残りました。
名前は、霧で旅人を迷わせた鬼が、捕らえた人を俎で料理し、雪隠で用を足したという伝説によります。正体の分からない石に、村の人は物語をつけて名前を与えてきました。
SPOT鬼の俎・鬼の雪隠おにのまないた・おにのせっちん斜面をはさんで残る、古墳の石室が分かれた姿。アクセス:近鉄飛鳥駅から徒歩約12分スポットのページを見る →
亀石は、川原の道端にうずくまる長さ約3.6メートルの石です。目と口が彫られ、亀の顔に見えます。川原寺の境界を示す石、庭園や祭祀の場の石などの説がありますが、決め手はなく、飛鳥時代のものかどうかさえ確かではありません。下部は地中に埋まり、全体の形も分かっていません。西を向くと大和が泥の海に沈む、という言い伝えだけがよく知られています。
SPOT亀石かめいし愛嬌のある顔で親しまれる、明日香を代表する石造物。アクセス:近鉄飛鳥駅から徒歩約20分スポットのページを見る →
猿石は、欽明天皇陵の南、吉備姫王墓の柵の中に並ぶ4体の石像です。1702年に近くの田から掘り出され、ここへ移されました。どれも表と裏の両面に顔が彫られています。渡来人を象ったもの、道祖神のようなものなどの説がありますが、何を表したのか、もとはどこに置かれていたのかは分かりません。
SPOT吉備姫王墓・猿石きびひめのおおきみのはか・さるいし墓域に四体の石像「猿石」が並ぶ。用途は今も謎のまま。アクセス:近鉄飛鳥駅から徒歩約10分スポットのページを見る →
橘寺の境内の二面石は、一つの石の左右に顔が彫られた高さ約1メートルの石です。善と悪の相とされ、人の心の二つの面を表すと説明されますが、いつ何のために造られたのかは分かっていません。
SPOT橘寺たちばなでら聖徳太子の生誕地と伝わる寺。二面石が残る。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「川原」下車徒歩約3分スポットのページを見る →
祝戸の道端に横たわるマラ石は、男性器をかたどったものと見られる長さ約125センチの石です。飛鳥川の対岸の丘をフグリ山と呼んで一対とみる説があり、説明板は子孫繁栄や農耕信仰に関わるものとも考えられると記しています。
SPOTマラ石まらいし明日香村祝戸の道端に横たわる、長さ約125センチの花崗岩。男性器をかたどったものと見られ、対岸の「フグリ山」と一対とする説がある。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「石舞台」下車徒歩約8分スポットのページを見る →
飛鳥川のほとりの弥勒石は、石柱のような巨石で、目と口にあたるところにわずかに手が加えられています。何の石なのかは分かりませんが、下半身の病に効くとして「ミロクさん」と呼ばれ、いまも花が供えられています。由来が分からなくても、石は村の暮らしのなかで役目を持ち続けています。
SPOT弥勒石みろくいし飛鳥川の右岸に立つ石柱状の巨石。下半身の病に効くと信じられ、「ミロクさん」と呼ばれる。アクセス:近鉄橿原神宮前駅から周遊バス「飛鳥大仏前」下車徒歩約6分スポットのページを見る →
酒船石遺跡も、須弥山石も、斉明天皇の時代(655〜661年)のものと考えられています。石垣で丘を囲み、水を引き、石を削って噴水や槽を造る。斉明天皇は大がかりな工事を繰り返し、「狂心の渠」とまで書かれました。
用途の分からない石のいくつかも、この時代の造営と関わっているのではないか。そう想像したくなりますが、それを確かめる手がかりはまだ見つかっていません。
飛鳥駅から歩くなら、鬼の俎・鬼の雪隠、猿石、亀石、橘寺の二面石が一つの道すじにまとまります。酒船石と亀形石造物は飛鳥宮跡の東、マラ石は石舞台古墳の南、弥勒石は飛鳥寺の西の飛鳥川沿いです。益田岩船だけは村の外、近鉄岡寺駅から竹林の山道を20分ほど上ります。
須弥山石や石人像、猿石の複製をまとめて見たいときは飛鳥資料館へ。答えの出ない石の前に立って、自分なりの説を考えてみるのも、飛鳥の楽しみ方のひとつです。
RELATED SPOT

ますだのいわふね
竹林の奥に横たわる巨石。何のために造られたのか分かっていない。

さかふねいし
円と溝が刻まれた謎の石。丘の上の竹林に横たわる。

かめがたせきぞうぶつ
水を導く仕掛けをもつ、斉明朝の祭祀の場。

かめいし
愛嬌のある顔で親しまれる、明日香を代表する石造物。

きびひめのおおきみのはか・さるいし
墓域に四体の石像「猿石」が並ぶ。用途は今も謎のまま。

たちばなでら
聖徳太子の生誕地と伝わる寺。二面石が残る。

まらいし
明日香村祝戸の道端に横たわる、長さ約125センチの花崗岩。男性器をかたどったものと見られ、対岸の「フグリ山」と一対とする説がある。

おにのまないた・おにのせっちん
斜面をはさんで残る、古墳の石室が分かれた姿。

いしがみいせき
須弥山石が出土した、斉明天皇の饗宴の場。

みろくいし
飛鳥川の右岸に立つ石柱状の巨石。下半身の病に効くと信じられ、「ミロクさん」と呼ばれる。

ならぶんかざいけんきゅうじょ あすかしりょうかん
飛鳥の出土品と山田寺東回廊を展示する、奈文研の博物館。
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