飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/諸説あり

海に近い大阪の水路か、それとも飛鳥の小さな池か。『日本書紀』が仏像を捨てた場所として記す「難波の堀江」は、二つの候補を持ったまま今日に至っています。

蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと『日本書紀』は書きます。ところが掘っても決め手が出てこない。そして甘樫坐神社は、その丘から少し離れた場所に鎮座しています。

日本で初めての本格的な都城が、わずか十六年で放棄されました。水はけの悪さ、宮の置き方、そして三十年ぶりに派遣された遣唐使が持ち帰ったもの。いくつかの説が語られています。

明日香村最大の前方後円墳をめぐっては、被葬者について複数の説が唱えられてきました。