飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと『日本書紀』は書きます。ところが掘っても決め手が出てこない。そして甘樫坐神社は、その丘から少し離れた場所に鎮座しています。

日本で初めての本格的な都城が、わずか十六年で放棄されました。水はけの悪さ、宮の置き方、そして三十年ぶりに派遣された遣唐使が持ち帰ったもの。いくつかの説が語られています。

飛鳥川に、稲藁の綱が二本架かっています。下流の稲渕は神主を招き、上流の栢森は僧侶が読経する。同じ行事が、集落ごとに違うかたちのまま続いています。

遣隋使として三十年あまりを大陸で過ごした学者のもとに、中大兄皇子と中臣鎌足が通いました。稲渕の坂道に、その塾があったと伝わります。

父・継体天皇の即位から、子どもたちが相次いで皇位を継ぐまで。飛鳥時代の入口に立つ天皇をたどります。

明日香村最大の前方後円墳をめぐっては、被葬者について複数の説が唱えられてきました。