飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

古代の大王位は、兄から弟へ渡ることが少なくありませんでした。父から子へという線を引こうとして、一度は失敗します。二度目に定着させたのが持統天皇です。

神武天皇が即位した橿原。いまは橿原市の畝傍山麓とされています。御所市の柏原(かしはら)にも、同じ伝承が残っています。

中大兄皇子の「大兄」は、呼び名ではありません。皇位を継ぐ資格を示す言葉です。七世紀の前半、この言葉を持つ皇子が三人いました。

皇極天皇には、舒明天皇に嫁ぐ前にもうけた子がいました。漢皇子(あやのみこ)。『日本書紀』はその名を一度書いたきりで、以後どこにも出てきません。

中臣鎌足が用意した縁組でした。蘇我倉山田石川麻呂の長女が中大兄皇子に嫁ぐ。その婚礼の夜、娘は一族の男に連れ去られます。

蘇我氏の倉を預かる家に生まれ、入鹿を討つ側にまわり、四年後に謀反を疑われて死にました。その娘たちが、持統天皇と元明天皇の母になります。

三輪山のふもとの纒向(まきむく)から、磐余(いわれ)を経て飛鳥へ。王権の場所は、南へ十キロほどのあいだを移っていきました。

584年、飛鳥で3人が出家しました。3人とも女性で、渡来系の家の娘です。その一人の父が建てた草堂が、坂田寺の始まりと伝わります。