飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

飛鳥を歩くと、あちこちで万葉集の歌に出会います。歌を読む前に知っておくと楽しくなる、歌の分け方と形、反歌や贈答の歌の違いをまとめました。

鎌倉時代の落雷で、飛鳥寺は焼けました。残ったのは「仏の頭と手」だけ――そう伝える記録と、2012年・2016年のX線の調査は、同じ仏について違うことを言っています。

飛鳥大仏から薬師寺の薬師三尊まで、およそ百年。仏像の顔つきは、つくらせる人と、海の向こうとの行き来しだいで、大きく変わりました。

2026年の案山子コンテストのテーマは「クスッ」。世界遺産に登録された村が、あえて笑いを選びました。9月26日・27日には案山子まつりが開かれます。

679年、天武天皇は吉野で六人の皇子に、争わないことを誓わせました。守られなかったことはよく知られています。ただ、一人ずつその後を追っていくと、殺し合いだけでは終わっていないことが見えてきます。

飛鳥のいちばん奥から山に入り、尾根をひとつ越えると吉野です。この道を、大海人皇子は追われるようにして越えました。同じ道を、持統天皇は在位のあいだに三十回以上も往復しています。

壬申の乱で軍を預かったのは、十九歳の長男でした。母の身分が低く、位からは遠いとされた人です。ただ、その死の扱いは、皇子のものにしては大きすぎました。

律令国家を仕上げた女帝として、夫の天武天皇と一続きに語られます。ただ、彼女は天智天皇の娘でもありました。父の跡を継ぐという意識のほうが強かったのではないか、と考えてみます。