飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

飛鳥寺、豊浦寺、山田寺、川原寺、大官大寺、本薬師寺。誰が、何のために建てたのか。そこを押さえると、寺の跡の見え方が変わります。

三通りの雨乞いが順に試され、最後に天皇が飛鳥川の上流で祈ると、五日間降り続きました。『日本書紀』がこの順番を丁寧に書き分けたことには、意味があります。

誰の墓かがほぼ確実とされる天皇陵は、ごくわずかです。この陵がそうであるのは、1235年の盗掘で作られた調書が残っていたからでした。

豊浦、小墾田、岡本、板蓋、川原、浄御原。百年のあいだに宮は何度も移り、そして動かなくなりました。

600年、隋へ送った最初の使いは、皇帝から道理に合わないと言われて帰ってきました。そこから百年で、この国は律令をもつ国になります。

近鉄飛鳥駅の周り、平田・野口・越。数キロ四方に、天皇の陵とされる古墳がいくつも並んでいます。これほど密集した場所は、ほかにありません。

遺跡と時代は「飛鳥」、村の名前は「明日香」。読みは同じなのに字が違うのはなぜか。そもそも「アスカ」とは何なのか。

街灯が少ないので、日が落ちると空が近くなります。そしてこの村には、飛鳥時代の人が星をどう見ていたかが、そのまま残っています。