飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

800トンの巨石に穿たれた二つの穴、円と溝が刻まれた石、顔を持つ亀、表と裏に顔のある石像。飛鳥には、何のために造られたのか分からない石が、田や丘のあちこちに置かれたままになっています。謎の石をめぐり、解けたもの、解けかけたもの、まだ何も分からないものに分けて紹介します。

2026年に世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。19件の構成資産を、場所と見どころがひと目で分かる一覧にまとめました。飛鳥駅から歩く定番コース、三つのエリアに分けた半日コース、奥飛鳥へ足を延ばすコース、1日・2日で全部をめぐるモデルコースを紹介します。

毎年3月、明日香村の史跡と棚田を3,000人のランナーが駆け抜けます。キトラ古墳を出発し、石舞台古墳や稲渕の棚田をめぐる飛鳥ハーフマラソン。起伏の多いコースと、紙コップを使わない給水、ゴールで手渡されるいちごまで、この村らしさの詰まった大会です。

「飛鳥」は奈良の明日香だけではありません。大阪府の羽曳野市や太子町のあたりにも飛鳥があり、古くは「近つ飛鳥」と呼ばれました。対する大和の飛鳥が「遠つ飛鳥」。近い・遠いは、どこから見た言い方なのでしょうか。

冠位十二階、憲法十七条、遣隋使。教科書でおなじみの聖徳太子は、明日香の橘寺で生まれたと伝えられます。日本書紀が描く太子の歩みと、「聖徳太子」という名前の成り立ちをたどります。

聖徳太子の事績には、ほとんどいつも蘇我馬子の名が並びます。本当に国を動かしていたのは馬子で、太子の姿は馬子の事績を移したものではないか――。そんな説の根拠と、それに対する反論を紹介します。

「春過ぎて夏来るらし」で始まる、持統天皇の香具山の歌。初夏の景色を詠んだ一首として親しまれていますが、そこに持統天皇自身の野心が出ているという読み方もあります。

大海人皇子とのあいだに娘をもうけ、のちに天智天皇のもとへ移ったとされる額田王。蒲生野で二人が詠み交わした歌には、まだ大海人を思っていた心が出ているのではないか。そう読む説を紹介します。