飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/宮と都

690年、日本で持統天皇が即位した年に、唐では則天武后が皇帝になりました。その半世紀前には新羅にも女王が立っています。7世紀の東アジアで、なぜ女性の君主が続いたのか。

2026年7月26日に登録されました。選ばれたのは宮殿と寺と墓の跡だけ、しかもほとんどが地下にあります。この19件が示しているのは、日本という国のしくみができあがっていく百年あまりです。

日本で初めての本格的な都城が、わずか十六年で放棄されました。水はけの悪さ、宮の置き方、そして三十年ぶりに派遣された遣唐使が持ち帰ったもの。いくつかの説が語られています。

三百年以上にわたって大きくなり続けた墳丘が、七世紀のうちに小さくなり、八世紀の初めに途絶えます。理由はひとつではありません。

600年、隋へ送った最初の使いは、皇帝から道理に合わないと言われて帰ってきました。そこから百年で、この国は律令をもつ国になります。

豊浦、小墾田、岡本、板蓋、川原、浄御原。百年のあいだに宮は何度も移り、そして動かなくなりました。

飛鳥寺、豊浦寺、山田寺、川原寺、大官大寺、本薬師寺。誰が、何のために建てたのか。そこを押さえると、寺の跡の見え方が変わります。

村の境を越えると、景色がはっきり変わります。飛鳥の風景が残っているのは偶然ではなく、この村だけを対象にした法律があるからです。