飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム/日本書紀

中臣鎌足が用意した縁組でした。蘇我倉山田石川麻呂の長女が中大兄皇子に嫁ぐ。その婚礼の夜、娘は一族の男に連れ去られます。

蘇我氏の倉を預かる家に生まれ、入鹿を討つ側にまわり、四年後に謀反を疑われて死にました。その娘たちが、持統天皇と元明天皇の母になります。

三輪山のふもとの纒向(まきむく)から、磐余(いわれ)を経て飛鳥へ。王権の場所は、南へ十キロほどのあいだを移っていきました。

690年、日本で持統天皇が即位した年に、唐では則天武后が皇帝になりました。その半世紀前には新羅にも女王が立っています。7世紀の東アジアで、なぜ女性の君主が続いたのか。

蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと『日本書紀』は書きます。ところが掘っても決め手が出てこない。そして甘樫坐神社は、その丘から少し離れた場所に鎮座しています。

嘘をついている者は火傷する。正しい者は無傷で済む。『日本書紀』が伝えるその裁きが行われたのは甘樫丘でした。神事はいまも甘樫坐神社に残っています。

海に近い大阪の水路か、それとも飛鳥の小さな池か。『日本書紀』が仏像を捨てた場所として記す「難波の堀江」は、二つの候補を持ったまま今日に至っています。

街灯が少ないので、日が落ちると空が近くなります。そしてこの村には、飛鳥時代の人が星をどう見ていたかが、そのまま残っています。