飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

推古、皇極(斉明)、持統の3人の女帝と、額田王、そして善信尼。2015年に認定された日本遺産は、この5人の目で飛鳥を読み直そうとしています。

上ツ道・中ツ道・下ツ道が、約2.1キロずつ離れて南北に走る。この定規が引かれたあとで、藤原京も平城京も設計されました。

藤原京は中国の古典『周礼』が説くとおり、宮を都の真ん中に置きました。ところが手本にしたはずの長安は、そうなっていません。なぜ本家が経典を外したのかを追うと、隋唐という王朝の素性が見えてきます。

690年、日本で持統天皇が即位した年に、唐では則天武后が皇帝になりました。その半世紀前には新羅にも女王が立っています。7世紀の東アジアで、なぜ女性の君主が続いたのか。

2026年7月26日に登録されました。選ばれたのは宮殿と寺と墓の跡だけ、しかもほとんどが地下にあります。この19件が示しているのは、日本という国のしくみができあがっていく百年あまりです。

飛鳥川に、稲藁の綱が二本架かっています。下流の稲渕は神主を招き、上流の栢森は僧侶が読経する。同じ行事が、集落ごとに違うかたちのまま続いています。

日本で初めての本格的な都城が、わずか十六年で放棄されました。水はけの悪さ、宮の置き方、そして三十年ぶりに派遣された遣唐使が持ち帰ったもの。いくつかの説が語られています。

蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと『日本書紀』は書きます。ところが掘っても決め手が出てこない。そして甘樫坐神社は、その丘から少し離れた場所に鎮座しています。