飛鳥の明日香の里を(明日香村)/コラム

村の境を越えると、景色がはっきり変わります。飛鳥の風景が残っているのは偶然ではなく、この村だけを対象にした法律があるからです。

1972年に高松塚古墳の壁画を掘り当てたのは、関西大学の調査隊でした。その三年後に村で始まった公開講座は、いまも続いています。

2月の第1日曜、飛鳥坐神社の境内が人で埋まります。天狗が参拝者の尻を叩き、田を耕し、最後は夫婦の営みまで演じてみせる祭りです。

古墳と宮跡ばかり見て歩くと気づきませんが、この村の冬はビニールハウスの季節です。奈良で生まれた大粒のいちごが、そのなかで実っています。

稲渕の棚田には、毎年秋になると見上げるほど大きな案山子が立ちます。題材はその年の話題から選ばれ、二度と同じものは立ちません。

遣隋使として三十年あまりを大陸で過ごした学者のもとに、中大兄皇子と中臣鎌足が通いました。稲渕の坂道に、その塾があったと伝わります。

明日香村最大の前方後円墳をめぐっては、被葬者について複数の説が唱えられてきました。

父・継体天皇の即位から、子どもたちが相次いで皇位を継ぐまで。飛鳥時代の入口に立つ天皇をたどります。